2011年8月2日火曜日

菅谷氏の講演

昨晩、豊科の公民館ホールにて、安曇野市の特別講演会として行われた。
医師であり、現・松本市長。
タイトルは「放射能から学ぶ  ~今、市民にできること」


チェルノブイリで医療活動を行っていた彼が、最初にスライドで見せた写真。


ベラルーシの豊かな大地。
一面の緑、遠くにみえる森、その向こうの水平線・・
美しい写真だ。
そしてここは「立ち入り禁止区域」
25年経った今でもそうである。


10年前にベラルーシから戻ったときはこの写真に「汚染大地」と名付けて講演したそうだが、
倉庫にしまっていた写真をまたこうして講演することになろうとは思ってもいなかった、
これは「汚染大地」だが、今や日本は「汚染列島」になってしまった、と
医師であり政治家である彼の言葉には説得力があった。

「日本は汚染国になってしまった」という現実を真正面から受け入れる姿勢をもって、相互に支えあうべきである。と。



社会主義国であった25年前のソ連でさえ、2週間後には作成公表できた汚染マップ(リアルだった)を
爆発から5か月近くたって、いまだ国が公表しないのは、おかしい、
だから対策が後手後手にまわり、取り返しのつかないことになっている、という彼の発言から、
「いのち」や「未来」が後回しにされているやり方が、よく垣間見えた気がして、恐ろしくなった。

チェルノブイリの汚染被害は25年経っても進行中だし、
内部被ばくについては、
子供たちに十字架をせおわせつつも
まだわからないことだらけなのだ。

まして、今回、いまだ実態も公開されず、
「稲わら」に限らない、食物連鎖の土壌すべてに降り注いだ雨。
負の連鎖はどこまで続くのだろう。
時間をかけて「いのち」を徹底的におびやかす。


時が経てば復興できる「自然災害」と、
「原子力災害・核災害」というのは全く別のものである、ことがあらためてよくわかった。


「僕は脅かすつもりはありません、事実だけを言います。」と前置きされた講演は、
中身は厳しい現実だが、わかりやすく、熱い語り口で、あっという間の1時間だった。

市民からの質問は、個人的で具体的なことが多く、
そんなことをここで聞かなくても・・と思ったりもしたが、皆それぞれ切実なのが伝わってきた。
こういう「不安」が加速し暴走すると怖いとも感じた。


子供や妊婦のいのちはさることながら、
年をとっても、誰にとってもたった一つのいのち。
そして人も、植物や動物のいのちを頂き、生きている、
他のいのちに、生かされている。

「自分」だけが助かっても、「住んでいる地域」だけが助かっても、日本だけが助かっても、
仕方がない。
下を向いて考えているだけでも仕方がない。

「汚染列島」から立ち直っていくために、
たくさんの「いのち」が共存し、生まれてくることができる地に戻るために、
みなで「方法」を模索してゆくしかないのだろうが・・・・・・どうやって?

気が遠くなりそうな作業・・
個人個人だけでなく、これは「人類」に突き付けれられているテーマなのだ。
そう思ったら、ちょっとラクになった。