2012年8月28日火曜日

残暑の色

夏は終わりへ近づき、秋が始まっている。
「いや、まだまだ・・・」と太陽が力を振り絞っているような今年の残暑。


どうしてこんなに大きいの?

と、叩くのをためらう、夏の終わりのやぶ蚊。

いつもは、「プ~ン」 「ムッ」 「パシッ」(空振り)・・が多いのだけど
夏の初めと同じくらいヘナチョコで、私と同じくらいトロいので、
当たると、「潰れる」感じがわかってドキッとする。
(紙のような感触の蚊でも同じいのちなんだけど・・。
ちなみに主人はかわいそうと、夏でも外に逃がす・・。)



カラーピーマン。
夏と秋が、
そして野菜と果物が、
混ざってるみたいな色と味。


山梨のお土産だという野生種、無肥料無農薬のぶどう。
種も皮も味わえる。
ラズベリーくらいの大きさに自然の甘さがグッと詰まっていた。


近所で、もぎたての「つがる」。
酸味も混じった、秋の始まりの味。


リンゴより大きな桃・・・
皮ごと丸かじりできる幸せ。
ここにも夏の太陽がいっぱい詰まっている。



山麓の稲穂も朝日を浴びて、
露を稲穂にのせて、こうべを垂れ始めている。


2012年8月26日日曜日

いのちの雫

人間の「いのち」は 葉っぱの先にのっかっている「露」のようなものだ、

・・・と友人は言った。
彼の妻、私の大好きな友人は、今その露が落ちそうになっている。

医者が患者の「いのち」の時間を宣告しようとも、
だれにも
「いのち」そのものには触れられない。



このところ、身近だった友だちのいのちが、「雫」となって落ち、
海に、空に、還っていった。

たぶん「水」が巡るように
私たちのいのちも、肉体は消えても、
肉体でない「何か」は、永遠のなかにあるのだろう。
いつか私も、みんなそこへゆく。
そう思いたい。
心の奥のずっと深いところで、
私たちの「露」も、肉体が消えた「雫」もつながっているんだ、と信じたい。



安曇平によく似ている・・といつも思う筑後平野。
耳納連山は、東山や、北アルプスの前山のよう。
筑後川、犀川、名前は違えど大きな川の周りに広がる一面の稲穂の海。


大好きな大好きな友人の身体は、とてもつらそうだった。
何もしてあげられない。
立ちすくむしかないのだけど、
なぜか友人の姿は、とてもきれいに輝いて見えた。

生きているひとりひとりにある、いのちの、「露」のきらめき。


2012年8月18日土曜日

残暑の炎天下、屋根を直している主人。
様子を伺いに梯子を上ってみたら、抜けるような青空。


1時間後には、西山山麓は、前も見えないほどのどしゃ降り。


ワイパーを最大にして、車で5分も走れば・・雨の気配すらない、
青空だった東山山麓・・・
その青空も、夕方から雲行きが怪しくなり、雷、そして、窓から外が見えないくらいの雨。


雨が上がって外へ出ると、
灰色の雲の向こうからうっすら桜色のひかり、消えかかった虹・・。


西へ向かう帰り道、
空は、反射する夕日を映して、
刻々と形を変える雨雲で、不思議な世界を創っていた。



信号を待っている間にも、
東山をショールのように雲が纏ってゆく。


山の稜線からも、やわらかい滝のように雲が尾根をつたって滑り降りてくる。
あっという間に北アルプスはショールで覆われ、前山である有明山も・・



見とれて迷い込んでしまった田んぼの稲も茜色に染まって垂れている。


わだかまっていたものが「おしゃべり」で晴れることもある。
雲に包まれて、前が見えないこともある。

でもこの空は、「まだ知らない美しい世界はたくさんある」ことを予感させてくれる、
大きなプレゼントのような気がした。



2012年8月17日金曜日

花火

13日 池田の花火 ・・轟音とサッシは揺れるほどの振動だったらしいが、爆睡。
14日 安曇野花火 ・・・なんとか外へ出るが眠気に勝てず撤収。

15日 終戦記念日
お盆の間続いた仕事を終えて、木崎湖の花火大会へ。



顔の見える、あるいは見えた直接の先祖だけでなく、
たくさんの先祖の「想い」の上に、今の私たちは生かされている。

ぼんやり幻想的に漂う灯籠と、
この瞬間を「音」と「色」そして全身に届く響きで味わせてくれる「花火」の饗宴。



夜店の匂い、賑わい。
浴衣姿のカップル、
浮き立つ子供を叱る親、
宴会に盛り上がるグループ・・・


永遠に続くような夏の空間。
その中にある闇と静けさ。



2012年8月13日月曜日

秋の気配

太陽の下では、「焼けるように」という言葉がピッタリくるほど暑いけど、
「立秋」を過ぎてから、夏の中に滲み始めた秋の訪れも感じる。


朝晩はもう布団が必要だし、
扇風機も、日中でも回ることはなくなった。



風鈴の音色もちょっと寂しさが混ざり・・


鈴虫はこの何日かで6匹すべて脱皮が終わり、
夜になると風鈴に代わって合奏が始まる。



近くの果樹園のリンゴも「サマードレス」「シナノレッド」が色づいている。
主によると、今年は少し遅くて、来週あたりから食べられるとのこと・・・



車の窓からも、
歩いていても、
安曇平は稲穂の海・・・




もう、こうべをたらし始めた稲の田んぼも、まだこれからの田んぼも・・。



稲にわたる風の音を聴きながら歩いていると、
自分の中の、消化しがたい感情も、軽くなっていく気がする。

まだ厳しい残暑が続くように、
感情も一気に「夏」から「秋」に変わるわけではない。
でも、滲み始めたものは少しずつ色を変えてゆく、
少しづつ…でも着実に、さらに巡ってゆくために・・。


2012年8月9日木曜日

高原

「猛暑」のニュースの中、早朝の峠は暖房が必要なほど冷え込んでいた。


高い標高の木々を抜け、樹林帯を過ぎると、美しが原。
浅間山を見ながら朝食。
雲海の上に出ていた山々も、あっと今にガスに包まれてゆく。
真っ白な霧に覆われては、蒼い空が現れる。




この空気の清涼感・・
草の匂い、花の匂い、・・空気の匂い。
軽トラでも爽快なドライブ。


花に蜂や蝶が舞う。
カイも私たちも・・・







以前、ここに住んでいたのは雪に閉ざされた半年間だったから、
あの白い世界の下にこんな鮮やかな世界があるなんて、何度来ても夢のよう。
雪の世界もまた全く違う・・神々しいような「美しさ」なのだけど。




寝っ転がって、目の前で出来ては消え、形を変えてゆく雲を追う。

この広い空と大地。
霧ヶ峰から車山を歩いていると、今でも、阿蘇の草千里を歩いているような、
不思議な気持ちになる。

はしゃいだ老犬カイ。
さすがに帰りの車の中では放心したように眠っていた。
美味しい空気、一緒にいっぱい吸ったね!

2012年8月6日月曜日

夏の光り


満月の前後…
先週は夜中に何度も目が覚めるほど月の光が輝いていた。

夜中、幻のような金の月、
明け方には、朝焼けの紅い大天井岳の向こうに白くなって・・・消えていった。



夜明け。
太陽の光は全てを明るく新しく変える。







木立の中にある我が家にも、差し込む(そう、まさに差し込むといった感じ)光が、
あちこちに強い陰影をつくる。






毎朝新しい蜘蛛の巣・・私たちをひっかけたい?くらい大きく・・キラキラ光る。


そして風と雲は、太陽と遊んでいろんな光りをつくりだす。


有明山に夕日が沈むと、長い一日の外仕事も終わる(終わっていい気がする)。



今朝はセミのかわりに、久々の雨が耳にやさしい。

昨晩付けたキャンプファイヤーの火は消えてしまったけど、
カラカラに乾いた土と同様に、私の体に沁みこんでゆく感じ。


今日は、67回目の原爆の日。
原発事故が起こり、
この国はどの方向に向かうのか、あらためて試されている気がする。

平和を求める心の光が、
自分自身からも、
人々のこころからも消えないことを願う。