2013年10月29日火曜日

ある秋の日



霜が降りるほど冷え込み、
日が昇った後は 霧がみるみるすべてのものを包み込んでゆく朝。

そんな日は確実に晴れる。



最近 忙しかったり、天気も不順で
「秋」を 心身が味わえてなかったけど、
タイミングよく 
大好きな人と 大好きな場所で 再会。
互いの犬同士も再会。



深まりゆく秋、
日に日に
山から里へ冬の気配とともに降りてくる。



ひさしぶりに「蒼」を感じる 空に
吸い込まれそう。


強い太陽で冠雪が融けてゆく鹿島槍。
私が 見とれている間に
カイは 日差しを全身で浴びてお昼寝。

2013年10月23日水曜日

旅の途中

どしゃ降りの 高速道路。
降りつける雨と 先を行く車のしぶきで前が見えない。

はじめてひとりで向かう夫の実家。
カイはベットをつくったら 心地よかったのかグッスリ。





知らない地名 
なじみのなかった地名が
その「名」を見ると ホッとする
新しい故郷のようになってゆく不思議。


大切なひとが 待っている
大切なひとの住む町は

自分の住む町みたいに温かみを帯びてくる。
国 が違っていても それは同じこと。

ハンドルを切り乍ら
今までの「旅」、
小さな旅から 見知らぬ国での旅・・
そして 旅そのものの「人生」をおもう。



離れていても
いつも思ってくれている人の
手のぬくもり・・

それを敏感に感じる カイの眼からは
 じわり と涙が溢れ 
かいはその愛情を 感じつくそうとしているように見えた。




私たちは
目の前のこと 目の前のひと いのちに
そのときできる精一杯をすることしかできない

明日のことは考えてもわからない

でも「想う」こと
「願う」ことはいつだってできる。

そして
私自身も
この地上に住む生き物も

どれだけその見えない「祈り」に支えられ

かろうじて「今」を生きていられることの
不思議を
奇跡を想う。


2013年10月15日火曜日

船窪小屋

4年前の夏、
主人の 「縁」 と 「念願」で 
私たちは この小屋で 結婚式をあげさせてもらった。


大町の七倉岳にある「らんぷ」の小屋。
「胸突き」でなく 「鼻突き」八丁が表示される 急な勾配を登る。


主人は 腰痛で今回は断念。
近くに住む媒酌人のKマンと一緒に
4年ぶりのこの道を 
うれしく ありがたく 踏みしめて あがる。


雲一つない秋晴れは、稜線付近で 雨雲に覆われ
ヒョウ、そして、雪に変わった。






囲炉裏端の
炎の、
小屋の 変わらぬ あたたかさ・・

それは

山のお父さん、お母さん、、
そしてこの小屋を 
表となり、裏となり 支えてきた人たちの、
また、
お会いしたことはないが 「先代」から続いてきたのだろう 小屋への、山への想い・・

それが小屋のぬくもりになって あじになって 滲み出
ている。





小屋の窓や戸を 夜通し揺さぶった 吹雪も
翌朝は グンと冷え込んだ空気に 日が昇る。
厨房の窓から差し込む 眩しいくらいの朝のひかり。


貴重な水、食材、
「食事」の一品一品に 心が 手間暇が 愛情が込められていて
頂く前に じんと 熱いものがこみ上げる ここの「食事」。




太陽のありがたさ。


今年 船窪小屋は この場所に移って創立60周年。
山のお父さんとお母さんは それぞれ喜寿で現役。

そして 今年の素敵なスタッフたち・・
たった この3日間だけど その想いにふれて 何度 もらい泣きしたことか・・
この みんなの笑顔が 今年の小屋の様子をすべて物語っている。
そして ここには写っていない この小屋を想う 「ツワモノ」たちの力の凄さ、謙虚さ、清々しさ・・を
想う。


なにも 力添えできない私たち夫婦だが、

ここで 
この小屋で
みんなの前で
この山々の前で
「誓い」を立てさせてもらったことの
大きさ ありがたさに
あらためて手をあわさせてもらう。


水場へ。
下を覗くと、先発が汲んでいる姿が見える。
雪が融けて、落石している。




私の番になって、
ここで目の前を 落ちてきた石が シュンという音とともに 過ぎた。
・・その後 背筋が凍った。

厳しい表情も
やさしい表情も見せながら
全てを包み込む
この大きな「山々」に 守られた気がした。
あのとき 誓った目に入ってくる山々・・



今シーズン最後の夕陽。
みんなの喋り声の中にも 漂う 不思議な静けさ・・・


スタッフで 最後の晩餐。
窓の向こうの夕焼けが
笑いも涙も 吸い込んでゆく。

歌に 演奏に・・
賑やかで ちょっぴりさみしくて・・



そして
また 日は昇り・・





シンボルの鐘は
閉じた囲炉裏の上に置かれて
窓も
玄関も
塞がれ
看板も下ろされ

小屋は
一足早い 冬の眠りへ。



後ろ髪をひかれつつ・・

みんなで
少しずつ
空気が緩んでくる野を味わいながら
里へ下山。

夫とカイも待ちわびていることだろう。

ありがとう・・
「船窪小屋」

2013年10月11日金曜日

タイセツなこと


やっと日常が戻りつつある・・

主人が こんなに長く留守にしたのは初めてだったので
この家が
いかに
見える部分も 見えない部分も
彼に支えられていることか・・を 実感。


放り出された たくさんの薪に
よく目が見えなくなって来たカイは
ぶつかったり 出られなくなったり・・

私は くべる専門で
なかなか 片付かない。

互いの「父」が
一家の「柱」だった存在が
「入院」というカタチで 家族にたいせつなことを
教えようとしてくれている 気がした。

どうやったら
この先
故郷を離れて暮らす
それぞれの「たいせつな」人たちを
「たいせつに」できるのか・・
私たち夫婦のテーマも
タイセツにしたいこと は 見えてきた気がしている。

核家族として暮らし始めた私たち世代の
多くの人たちのテーマなのかもしれない。

具体的には
一歩づづ
私たちに出来ることを
積み重ねて
相手に訊き乍ら
模索してゆくしかないのだけど。

離れていても
そばにいても
やはり
家族は
いちばん大事な
こころの基盤。




ここのところ
弱っていたカイも
信心深い双方の「母」の想いが通じたのか、
夏を乗り越えてか
目の輝きが戻り 元気を回復している。




2013年10月3日木曜日

有明山


御嶽の麓の友人家族から、突然有明山に登りに来るという電話。

カイと散歩しながら「有明山」がいつもより迫って見える。
うん、呼ばれている気がする・・
彼らの到着を待っての遅く、うれしい出発。



私にとって 
有明山は、
・・その一部分しか知らないのだけど、
これまでの人生の中で
一番登った山。

いちばん身近で
眼の中にも
心の中にも
常にある。



その中に入ると
静かで
神聖さと安心感に包まれる。

「有明荘」にいたころ、
何度
この道を
踏みしめたろう。

精神的にとても苦しい時期だった。
「今を最低の時期だと決めて、後は上がるしかないぞ。」
・・って、年上の仲間が励ましてくれたけど、
心に出口はなく
ただただ ひたすら歩いた。



何年かいた中で、
よろこびの中も
悲しみの中も
なにもなくても
ひたすら歩いたこの裏参道。

これまでの
いろんな涙や汗を
迷いや誓いを
この山は全部知っているんだなあと、
歩きながら感じた。


ここのところ
張りつめていた心身の緊張も、
木々の中で
身体も頭も空っぽになってゆく。

心身に有明山の空気が入ってくる。



ひたすら
ひたすら
急な勾配をのぼる。
風景と楽しむ山ではないけれど、
たまに開ける視界から
立ち上るガスと光のパフォーマンス。


勾配のため
つかまったり
支えてくれる
木々。

手は、その樹液でべとつくのだけど、
この手触り、
匂い・・
手袋はしないでおいた。



大好きな友人家族にも 支えられ、
あの時も 今も
ある。


ずっと先に行く、健脚な彼らの存在を感じながら、
なんとなく
わりと近くに クマの気配も感じながら・・

こうして
あのころの願いを
生きている、
有明山にいる
「いま」の私。

一歩
一歩
感謝と祈りが
静かに
湧いてきた。