2015年6月30日火曜日

梅雨の晴れ間

ご褒美のような さわやかな風が吹き、
バックミラーに映る山の青さや
信号待ちの風景に 心が躍る。

羽ばたく鳥や太陽を浴びる草木の歓びも運んでくるよう。

纏われていた雲が払われると
雪山だった北アルプスも、
雪渓を残しつつも、あっという間に夏山になっている。



松川村の田んぼの中にある観松院の弥勒菩薩半跏思惟像を拝観した。
厚い扉の奥に
あまりに繊細で美しいその姿・・。
30センチという、目に見える小ささゆえにか
逆に 存在感の大きさを、
時空を超えたひろがり というか ふかみを感じる。

こうした像をつくる 人の心の奥底にあるもの、
それは 美 というものなのか
祈り というものなのか わからないが
ふかいところにある「静謐」に ふれさせてもらった気がする。


そして
山は青く 
川も青く 
青い季節の到来。


2015年6月6日土曜日

ちょうど1週間前の土曜日、
関東にいたので 長く揺れる地震を味わった。
東日本大震災の時ほどではなかったけど、
遠くでまた大きな地震が起こっていることを感じて怖かった。
揺さぶられてるなあって思った。
目に見える部分も
見えない部分も。

ニュースで
日本地図全体に放射状にに震度のマークがついているのを見て
やはり日本全体が揺さぶられているんだなあと感じた。
これまで培われてきた日本人の精神も。


翌日 安曇野へ帰る高速バスを待つ間。

見上げるビルの谷間に

まるで
山頂にいるときのように
雲が生まれ、とても速いスピードで流れてそのカタチを変えてゆくのを見た。


それは
この国を想って・・

この国に 今 生きている大切なひとを想っている、

目には見えなくなった人たちが 
今回の地震だけではなく
この国をギリギリのところで守ってくれている、
支えてくれている
空に描き続けている寄せ書きのように、
おまじないのように見えた。



突然 頭の上がひかったと思ったら、
彩雲ができた。
カタチを変えて
何度も
何度も顕れる。

写真をとる余裕ができるくらいの30分以上の間、
その彩雲を見ていると
亡くなった大切な友達や先祖やカイや・・
あるいは 本の中で出会った人たちが想われてきた。

私にとっての大切なひとたち。
そしてそれは 私だけでなく
全ての人が同じように その人にとっての大切なたちに守られているのだろう。
本人が気づいていても、いなくても。



安曇野に戻ると
小麦も 山の色も あっという間に もう夏の色に変っていた。
うちのまわりでも カッコウが鳴きはじめている。