2013年9月28日土曜日

100本目

ずいぶん冷えこんだ昨日の朝の太陽は、
その光りをすべてに分け合うように、
目に入るもののすべての
表情を「輝き」そのものに変えていった。







そう言えば・・
朝の散歩道は 足元も 背丈のところも・・

ススキや名前を知らない草たちが
打ち上げ花火や
線香花火の様だったし


有明山は
いつもより
大きく くっきりとして
何か語りかけてくるかのようだった。

「お祝い」してくれていたのかな。



ひょんなことから
ラジオの仕事を始めることになり、10ヶ月。

今日放送局に提出した分で
100本目
そして101本目のスタートとなった。




インタビューさせてもらった ひとり  ひとりとの 出会いは
あづみ野からのプレゼント。

そう思って
カタチにしてゆく 1本 1本 は
たいせつな人への贈り物に ラッピング作業をしてゆくような・・
迷いながら
わくわくしながら
時に 途方にくれたり、打ちのめされたりしながら
気がついたら100本になっていた。


「これでいいのか・・」
常に 考えるけど、
どの1本も その時の自分にできる「精一杯」。

「山」によばれて
知らない山を 地図なしで歩いているような感じだ。
そして、
山の天気のように 雲に包まれたり、
雲のあいまから思わぬ風景が見えたり。

とってもとっても
不安だったから
100本目つくっているとき、
ゲストの方の「有明山」の話を何度も聴きながら
「有明山」が 
私を激励してくれている気がして泣けた。
嬉しかった。


無我夢中だったけど、
ひとつ ひとつ が重なって
ここまで登ったよろこびと驚き。

これからも
自分の中にある 深い願い と
「あづみ野」が 織りなす「糸」を 
心の中の 拠り所にして
自分にできること
ひとつづつ 重ねてゆきたい。


まだまだ 先へ 新しいスタート!





2013年9月22日日曜日

秋の風


澄んだ空気は
地上のすみずみまで届き・・



身体の奥まで、
こころの奥底まで届いてくる気がする。


台風一過の空は
山の稜線をさらにとがらせて

この風の匂いと一緒に
眼の奥にも焼きつけたくなる秋の風景。

2013年9月20日金曜日

中秋の名月


・・という言葉がピッタリの「月」だった。
なんでも 19日の20時13分が最大だったとか。


その月を見ながら
水に浮かぶ月を見ながら

この清さと 平安を
自身の心の中に
世の中に

同じ月を見ながら願う
たくさんの人がいるような気がするくらい・・
澄んだ「月光」だった。


2013年9月16日月曜日

秋の音色

コツン コツン・・
と 甲高くはじく音は
もう 鳥が木をつつく音でなく

どんぐりが屋根に落ちる音。
秋の「音楽」がはじまっている。


稲穂を渡る 風の中にも


ひかりを浴びる花の中にも







りんごも
葉も少しづつ色づき始め
秋の味覚を楽しむ 私たちの頭の上は 秋の空が広がる。



 


2013年9月13日金曜日

夏の終わり

1日の中の 出来事 ひとつひとつが

全体の見えない「切り絵」を 
ただただ 一枚ずつ 貼ってゆくみたいに
「ぎっしり」凝縮されて 
目の前に起こること、約束、仕事・・こなしてゆくことが精一杯だった今年の夏。

外はもう秋風だけど、
ようやく「夏の」仕事を終えて夏が終わった。



夏の花たちに どんだけ励まされたことだろう。
紅はどこまでも紅く、
いろが そのいろを せいいっぱい 燃やしている。






いろも その香りも
この短い夏に そのいのちを、開ききる。






お盆に はじめて こんなにまじかで見た 安曇野の空に咲く 花。
近所の方々から連れていってもらって 
この「三川合流」の地で
土手に寝っ転がって みんなであじわった夏の空。



槍で別れた 梓川と高瀬川、、
そして奈良井川が ここで交わり「犀川」となる。

賽の河原、から来たというこの地名、
「いろんな人の想いを(天へ)運ぶ」という意味もあるという。
以前 住んだことがある福岡の地名であり、
今 ラジオ局があるのもまさに ここ である。

迫力の音、振動、大きさ・・
そして 今ここに 生かされている不思議に・・ 
なぜか涙が出た。