2014年11月9日日曜日




1日に哲学の森で行われた
ウォン・ウィンツァン氏のコンサートのタイトルは
「青の龍」=BRUE DRAGONの棲める山
だった。



雨で鮮やかな森林の中で、
この地をこよなく愛した林業家・荒山雅行さんの
命日に行われた。

雨の中の 野外でのウォンさんの渾身の演奏。
この日に向けた妻のりりいさんはじめ、スタッフの方々の想い、
ひとりひとり・・
聴きに来た人の想い・・

まるで
森に棲む龍が
呼応するかのように
高い木々から紅葉した葉がはらはら舞い降り、
鳥が鳴き、
木々の間から霧が躍る。
ステージの後ろから霧が立ち込めて、しばし「白」に包まれる。

メモリアルということもあってか、
亡くなった心友と一緒によく聞いた曲が、演奏されたこともあってか、
ウォンさんの音の世界が
深い鎮魂と 
そして
彼らのいるであろう・・あかるい、静かな ひかりに満ちた世界を
垣間見せてくれているようで
涙があふれた、
そして
去年 そこへ行ったカイもそこにいるんだなあって感じて
安心した。

りりいさんによると、
「雨が降って歓ぶ木々の間を 龍が駆け回り、
やがてその吐く息が森をつつんでいた」そうだ。


コンサートの後は
何日か冷たい雨の日が続き、
そして
快晴。

満月までの3日間、
毎晩 眩しいくらいの月が
雲を引き連れ
地上を蒼く青く染め、
空で遊ぶ龍みたいだった。

昨日も その月に起こされ外へ出る。


月に
龍に?
導かれ長峰山へ。
安曇平はすっかり深い霧の中。


夜が明ける・・






日が昇ると同時に
龍がどこかへ行ってしまった気がした。

カイが死んだあと
「カイが白い龍になった夢を見たよ。」
と夫が言ったことを思い出した。
水の中で息を引き取ったことが苦しかった私には
その言葉は とても慰められた。

ある時は白く、
雨となって地に恵みをもたらし・・
ある時は蒼く
宙を謳歌し

日の出の時には
紅く、
そして金色に・・

姿を変えながら
私たちを見守ってくれている気がした。

すべての人が
それぞれの
龍に見守られているのだろうと思う。



2014年10月25日土曜日

まっかっか

今朝は
ますます瞬くオリオン座に 流れ星・・

お茶を飲んで 外へ出ると
いつのまにか 夜が明け、
星はもう見えない。

ふと 有明山の山頂が焼け始める
遠くで日が昇り始めているのだ。






山頂から少しづつ
紅が山裾へ広がってゆく、
歩くたび有明山が大きくなって・・
朝焼けの有明山は まるでひとつの紅い岩のよう。


日が昇ると
前山自体も 紅葉であかくなっていた。
そして リンゴも燃えるようなあかいいろ。

秋が深まっている。

2014年10月19日日曜日

木崎湖の朝

夜明け前 障子を開けると オリオン座が冬のように瞬く。
寝ぼけていた目が開いた。

澄んだ空気が だんだんと冷えてくる日の出前。
「ちょっと そこまで」のつもりが、
こんな日の鹿島槍の朝焼けが見たくて大町まで。


白馬の方は雪で白かったが、
その南の山々は昨日の日差しで冠雪も溶けたよう。
里でも もう氷点下の朝がはじまって、足元は霜が降りている。
日が昇り、木崎湖のあたりに霧がたなびき始めた。


 
 
湖面の静けさとは対照的に
「クマ出没」の有線放送が頻繁に流れていた。
 
 
鹿島槍も
青い空に 朝吸い込んでいるような表情。
 
 
 

雲ひとつない秋空の下、
木崎湖面で 
太陽と風の水のダンス。

朝のひと時。

2014年10月14日火曜日

出会い

台風一過。
日の出前、朝焼けに染まる障子。

冷えた、でも 澄み切った朝の空気を吸いに外へ出ると、
みるみるうちに雲に覆われた有明山の上に
虹がかかった。


私のこころの奥深くでも
なにかとなにか が 結びついた気がした。
・・そう この感覚
頭では わからなくても 
心のふかいところはわかっているから
あとは 流れにまかせればいい。




ちっちゃな・・そして輝くくさぎの実。
こんな宝物を
自分自身の
そして出会う相手のこころの中にも
発見したときの歓び。


ひとと
草木と
生き物と
場所と
ちゃんと出会えた気がするとき、
そこから
またあらたな 流れがはじまっている。


2014年10月1日水曜日

ひと呼吸、ひと呼吸・・


窓の向こうの 木々の葉は 
そして そこにやってくる鳥や虫も
少しずつ、
でも確実に 冬の準備を始めている。


心の中に漂ってくる感情に
時々 どっぷり浸って座り込んでしまうけど、

一呼吸 一呼吸 払いながら 「窓」を磨こう。

ひとつ ひとつ ゆっくりでも
すすめば みえてくるものもある。



2014年9月24日水曜日

黄金色

ブログも
こころの中の 季節も止まったまま、
いえ
止めようとして 当然止まるものではなく
感じまいとしても 季節は巡り・・

冬が終わり、
春が来て
夏も過ぎ・・

いつのまにか
地は 黄金色に。







この連休で
その実りもずいぶん収穫されて
ただ風が過ぎてゆく。


あるものを見るか
ないものを見るか

その両方を観ることができるか・・
できるようになれたらなあと思う。



2014年3月2日日曜日

大雪のあとで

ここ何日か 気温が緩んで 雪は雨に変わり、
重たい布団をいくつも重ねたような屋根の雪が
滑る音
落ちる音で
目が覚めるほど。

それにしてもよく降った。


使われることなく この冬が終わるのかと思っていたスノーシューが
まさか家の周りで必要になるとは。
きゅうぅと雪の中に埋まってゆく足跡の中に
現れてくる うっすらとした「ブルー」。
不思議で
きれいで・・

雪かきのあいまの 異空間。




朝日は 木々の雪を 溶かして 容赦なく落し
溶け始めた屋根の雪は つららに姿を変える。



つららの中に

朝日が
月が
そして
春も
映っている。


2014年1月31日金曜日

風花

一晩中 強い風に 木が揺さぶられ、物が飛び 風鈴がなっていた。

日の出とともに

風花が

金色が


風に合わせて

ゆったりと舞い上がったり
時に 
激しいカラマツの雨のように降りしきったり


背の高い木々は
幹から揺れて

そのたびに 
高く昇ってゆく 太陽も 
風花も
それがつくりだす金色の花も 
消えたり浮かんだり
・・ゆれている

そして
もっと 揺れていた気がしていた・・心の中にある湖。

風花に
風鈴に
あやされて
おさまってゆく気がしている。


2014年1月17日金曜日

そら

 山の向こうに
あの太陽を
収めてゆく 大きなそら



ひさしぶりに外に出ると

空の おおきさに
おどろく・・

わかっているはずの、じぶんの 小ささにも。


日が沈んだ後の
差すような
雪のない冬の風が
耳も鼻も・・歯にも凍みてくる。

でも どこか この凛とした透明感が 心地よい。


いつだったか
こんなふうに
空をとても大きく ちかく 感じる場所にいた。
遠い国の
地名もわからない場所で


私自身 「どこ」の「だれ」ではなく、
言葉も 
常識 と思っていたものも 
全く通じない場所に

そして ただ
生きている という存在だった わたし

「わたし」という いのちの運命を信じるしかない 状況。
覚悟と同時に 大きなもののなかにある・・というような 心の平安。



氷が張るのも 溶けるのも 自然のように
私の「表面」で 張りつめているものも 時が来れば溶けてゆくのだろう。
誰のこころも その奥底では
きっと自分では想像もできない ダイナミックで自由なエネルギーがあふれている。


そう思えたら
目に入ってくるものが
耳に入ってくるものが
鼻から
皮膚から感じるものが
うんと ちかくなった。




2014年1月14日火曜日

ことば


日常生活には 戻ったものの
心にも 身体にも おもり がついているみたいだった。

いくら「心配」しても 何か変わるわけではない

今まで 足元にあっても気が付かずに過ごしてきた
別の「不安」の扉を、次々に 開いてゆくようなことだ、
と 頭では わかっていても
心身がついてゆかない


そして 日常が戻ってきて
カイがいないということに
はじめて現実として気が付く。

ぽっかり空いてしまったところを
ただ 感じるしかない
これからも 時間をかけて。


何を 見ても 胸に来なかった
帰ってきた安曇野の 美しいはずの 冬の風景。



同じ期間 ラジオでリクエストされた曲が見あたらず ずっと探していた。

その過程で
その曲が 主題歌となった映画のワンシーンが
主題歌の ことば が 
私の胸の奥の方に やってきて 
心の中で 大切にしてきたことへの記憶をよびさまし
「おき」にまた火をくべてくれたような気がしている。


brother sun sister moon
i seldom see you seldom hear your tune
preoccupied with selfish misery・・・

youをどうとらえるのかは 人それぞれなのだろうが
歌詞を通してやってきた 
言葉でない ことば で 
私のこころにまた火が燃え始めたこと、

一日一日
すこしづつ 
朝日が
目だけでなく
心身にも入ってくるように感じられて


生きている
生かされている
自分のいのちを
あらためて 感じている。