2012年7月31日火曜日

おひさま

1年の間のわずか2~3週間。

家の中を裸足で歩けたり、タオルケット1枚でも眠れる、
私にとっての「夏」。


家じゅうの蒲団、寝袋、絨毯、マット・・
とにかく、おひさまの方向に合わせて、動かしながら全部干す。


おひさまの光が当たる場所に全部出す。
山の天気は変わりやすいから、里が青空でも油断はできない。


なかなか成長しない朝顔も「今!」と頑張っている。



なるべく陶器もガラスに変えて・・


まさに旬!の地の果物がたくさん集合したので、
フルーツポンチを。
私はサングリアに。


沢で冷やした丸ごとのスイカは・・・
作業の後の甘いおやつ。



稲はどんどん生長し、
山もすっかり夏山。


おひさまに感謝・・。


2012年7月30日月曜日

手づくりバック

「ほんとうに作っていて楽しいバックでした。」
と、丁寧に添えられた手紙とともに・・


箱を開けると注文していた「バック」

そして、
「余った布で作りました。」と、
かわいいおまけの「バック」が、
マトリョーシカみたいに、中から3つも出てきた。



先月、近所の「市」で出会った、長野市在住の作家さん。
数ある作家さんが出している中で、他は目で追うだけで十分だったが、
彼女のところは、素通りできず、立ち止まって手にした。


ひとつひとつが、丁寧にしっかり作られていて、
「そうそう、ここ!ここ!」
といった感じのところに、ポッケや補強がついている。
この方の、生活の中から出てくるアイディアや知恵や愛情が、
バックの中に、シンプルに詰まっている気がした。


私はもう10年以上どこに行くにも、結局、この竹かばん。丈夫なのだ。
でも大きな書類はちょっと不便。
仕事上これから必要になるなあ・・と感じていたところだった。
バッグなら自分で作れるかなあ・・と思っていたが、
彼女の作品を見て、お話しさせてもらって、
ぜひこの方につくってもらいたいなあと、お願いすることにした。

「精一杯、迷ってください。」
とおっしゃるので、
生地選び、
店頭でも、その後も、
主人も交ざって精一杯悩ませて頂いた。


添えられた手紙に、
バックをつくった達成感のことと、
「私のような素人に作る機会を与えてくださって感謝です。」
・・・ジンと胸に響いた。


「ガンガン」使わせて頂きます!!




2012年7月27日金曜日

燕岳(2)


まだ少し雪の残る稜線。
テントの黄色、花の黄色・・・
毎年名前を忘れる夏の花々・・・


イワカガミは里でも見られるから名前を忘れないんだけどな。


ナナカマドの花で蜜を吸っているのは「クジャク蝶」。
確かに羽を広げると、オレンジや紫のクジャクの羽のような模様が鮮やかだった。
短い夏に命を養うことに生き物たちは必死。



裏銀座の山々がよく見える。
焼けつく陽ざしに、心地よい風・・・




雲がどんどん上がってきて、あっという間に稜線を覆った。



燕山頂をヘリが旋回中。
花の匂いに、人の匂いに、あたりは蜂が旋回中。


今朝は急でご飯を炊く時間もなかったので「凍り餅」
ラーメンに添えて、おにぎりの代わりに。
朝はお味噌汁に入れた。
腹持ちが良くて、私には一番の行動食。
これは友人がつくってくれたもの。
このあたりの、あの厳しかった冬の風の匂いを感じながらかみしめる。



「イルカ」ちゃんにご挨拶して、



満開のコマクサに夏を感じて・・・
花崗岩でできた山頂は、
なんだか砂浜にいるみたい・・
といつも思う。



なぜか、瞬間的に、影が有明山になっている・・・
有明山の影ではないのだけど、
この方向からも有明山を拝ませてもらう。



こちらは下山時の有明山。
その向こうに安曇平がみえる。
先程の雲海はすべて上昇して、山の稜線にたまっている。
里は唸るような暑さだろうなあ・・・



帰りにもう一度、
合戦小屋で八面大王にご挨拶。

思いのほか、身体が動かず、時間がかかった久しぶりの山行きだった。
そして、これで心身リフレッシュ!
私たちも、短く、慌ただしい夏を乗り切れますように!!

燕岳(1)

お休みを捻り出して、上山!


夜明け前、目が覚めると、星がキラキラ瞬いている。
今日は晴れる!
バタバタと準備開始。


中房線のトンネルをくぐる頃、朝日が昇り始めたらしい。
真っ暗の中に突然強い日差しが差し込んできた。

登山口は、平日だというのに、
夏休み、あの高気圧のはりだした天気図、
そしてこれが「山ブーム」なのか・・・あまりの人の多さにビックリした。


ようやく第一ベンチ。
久しぶりにここの湧水を飲む。
冷たさと甘さに潤されながら・・・
ここにも降りてきて積もった、であろう、セシウムのことおもう。
もちろん流れていったのかもしれないが、それは海にたまってゆく。
もう事故前には戻れない。




木の生態が変わってゆく。
空の碧さがどんどん強くなってゆく。



根っこの上を下を股ごしながら、
あ~、久しぶり、「木」に遊んでもらっているこの感覚。


木々の合間から時々見える遠景。
あの陽射しだもの・・雲は降りて、里は雲海になっている。
高い山だけが顔を出している。
遠くに富士山も。


合戦小屋には、夏の名物、波田のスイカ。
そして、八面大王の解説。
何度も読んでいるのに、「安曇族」の話として、読み返すと感慨もひとしお。
ま、これは大和朝廷側の解説だが。


燕山荘も見えてきて・・


燕山荘の赤い屋根とハイマツの赤が空にまぶしい!
稜線まであと少し!

2012年7月24日火曜日

戻り梅雨


豪雨の博多から帰って、
安曇野は梅雨が明けてた、はずだった。
行く前には、梅雨の寒さで必要だった炬燵や絨毯を慌ててしまおうとしたら、
連日の雨や曇りで、絨毯はまだいいかも・・・

蜘蛛は、いろんなところで家をつくって、雨宿り、食事待機・・・


物干しざおの穴には、カエルが雨宿り。
ブルーのリボン?は蜘蛛の巣に引っかかった洗濯物の繊維かなあ・・。


3週間ぶりにのぞいた畑。

草むらの中で・・・
ああ、トマト!甘い!草の匂い!夏の味!

初めてキャベツがしっかり結球していた。
長雨にもかかわらず、今年はどこも出来がいいらしい。

そして、行く前に食べ時だったサニーレタスは肩まで届く「仏舎利」のようになっていた。
レタスの美しい・・・らしい、花を観賞しようかな、せっかくだから。



2012年7月22日日曜日


これは志賀島の展望台から玄界灘を臨む風景。
小さな島がたくさん見える。



志賀島は、島とはいえ、「海の中道」という自然にできた道でつながっていて、
あの道の向こうに、内海である博多湾、そして福岡市内が見える。
道のこちら側が外海、玄界灘。

父方の先祖のお墓が近くにあったので、小さい頃から何度この道を通ってこの島に来たろう。
家族と。親戚たちと。
そして遠足で、友達と。
大人になってからは、ドライブで。
たくさんの思い出とともに故郷を正面から眺められる場所。


豊かな緑の向こうに能古島も見える。
島の展望台から東西南北・・・海に浮かぶ島を眺めるこの感じ・・・


そう、似ているのだ。
信州で高い山に登り、東西南北、雲海から顔を出す山々を眺めるときの感じ、と。


これは去年の秋、美ヶ原の手前、標高2000メートルあたりからの日の出前の様子。
「雲海」の意味をおもう。

いつかモンゴルで見た、丘の上から草原が風に抜ける様子はまさに「海原」だった。


古代、「安曇族」といわれている人たちも、
大海原で活躍した人たちも感じていたのだろうか、
海と空の間で、生きている、生かされている、この感覚。
この地、信州でも。

「海」は自分の中の何かをゼロに戻す。
リセットされる。

今回はわずかの時間の中で、
海には、入れず「見るだけ」だったけど、
見えない古代の人たちを偲びつつ、
偲びながら・・・安曇野に戻ってきた。

2012年7月21日土曜日

志賀海神社と穂高神社


福岡市東区にある志賀海神社。
入口には清めの砂「御潮井」がある。


古代に生きた海人の精神を垣間見るような気がする。


この時期、博多山笠でも舁き山が始まる前に、
心身を清める行事として、
「お汐井取り(字は違うが)」が行われる。
浜の砂(=お汐井)を取って持ち帰り、山笠での無事を祈って、家を出るときにふりかける。



玄界灘を臨む博多湾の入口にあり、
古代より海の守護神として信仰されてきた、歴史ある神社。
「阿曇族」の表記に胸がドキとする。



島の入口の、
小さく、深い、森の奥にある境内。
そこからは玄界灘が一望できる。
古代の人たちも見ていただろう「海」が広がる。




宮司さんは気さくな方で、平成21年に、穂高神社で行われた、
20年に一度の「大遷宮祭」によばれ安曇野に行った、とおっしゃっていた。





その「穂高神社」は、JR大糸線の穂高駅からすぐのところにあり、地元でも親しまれている。
「古代、北九州より移り住んだ安曇族の祖神『海神』を御祭神として祀っております。」
とあるように、
今でもこの信州の地で、
毎年「お舟祭り」が行われ、九州の祖神が偲ばれている。


また、「海運」を司った安曇族の神様にちなんで、
現代では「交通安全」の神様として、お正月は地元だけでなく、車が並ぶほどだし、
穂高神社の奥宮である、上高地・明神池では、登山者が安全を祈願している。
日本アルプスの総鎮守になっているのだ。


2年前の穂高神社の「遷宮祭」で行われたのは、外観の葺き替えがメインだったのではなく、
なんと、ご本殿の志賀島の「御砂」を新しい「御砂」に替えることだった。
つまり、ここの、志賀島の海の砂が穂高神社に奉納されているわけだ。

(穂高神社)
「九州福岡志賀島玄界灘の御砂を完成した真新しい御本殿の敷地に敷きつめ清めます。二十年に一度、御本殿近くに進み御砂を奉納できます。」


穂高で、パンパンと、手を合わせていたその先に、
よく通ったここの、志賀島の、「砂」があったとは・・・。





2012年7月20日金曜日

帰省

「長くても2週間」の予定が、いろいろあり約3週間に。

安曇野での予定がキャンセルだらけになり、迷惑をかけたし、
夫にはこちらでいろいろフォローしてもらい、助けられた。

そして、私は福岡で、 
ほんとうに会いたい人、
「私」を必要としてくれている人、に、寄り添うことができ、
充実した時間をもらって有難かった。


今回は急な出発だったし、帰る日のメドがつかなかったので、飛行機でなく電車で。

特急「しなの」からの車窓は、安曇野の田園風景と、北アルプスを過ぎると、
塩尻の田園へ。ブドウ畑が目立ってくる。
山の風景も、穂高が近い。



木曾谷へ入ると風景は一転。
山に挟まれる。
渓谷の美しいこと。
発電所、木材所も多く目につく。


木曾谷を抜け、岐阜へ。
人家も増えのどかな風景に。
恵那山も穏やかに見える。


そして少しずつ緑が少なくなってきて、
借り物みたいになってきて、
とうとう見えなくなったら、名古屋駅到着。


カイ、今度はアレに乗るんだよ!


あんなに透明で、蒼かった木曽川、
新幹線からみえた木曽川はこんなに悠々と広く海に向かっている。
近くの田畑を潤しながら。


関西圏に入り、海や島や、工場も見えてくる。


九州に近づく「あっという間」の景色を眺めながら・・・
やはり日本は美しく、豊かな国だなあと感じる。


同時に、いつこれが
「自然災害」や原発をはじめとする「人災」で一瞬にしてなくなることもあるのだと思うと、
幻を見ているような、
足元のないところに立っているような・・
不安な、
そして不思議な気持ちにもなる。




老犬カイは、膝の上だと落ち着くことがわかり、
ちょっと顔を出させてもらって・・
腕枕・・約4時間・・・。



博多駅では、山笠準備の追い込み中。
駅前では、人形師が指示を出しながら飾り山をつくっていた。

博多の「暑く」て、「熱い」夏が始まっていた。