2013年6月8日土曜日

いのち(2)


3週間ぶりに博多から戻ったら、安曇野はすっかり初夏。
緑に覆われている。

留守の間、木曽で愛情をたっぷり受けて元気を取り戻したカイと夜明けの散歩。


「日輪」、・・3つの「虹彩」、「サンピラー」・・
虹のように見えるひかりの輪は、

「この世」と「あの世」
「意識」と「無意識」
「見えるもの」と「見えないもの」・・
いろんなものの架け橋のようで、
それでいて「輪」となって「ひとつに」巡っているようで・・
太陽と空の「メッセージ」のようなパフォーマンスに、しばし見とれていた。


コトバを必要としないカイ、
コトバを失くしかけた父、
この1か月、ことばではないところで
ことばを超えたところで伝わってくる「なにか」を感じながら過ごした。
「いのち」そのものが訴えてくる世界。

たぶん一番大切にしたいもの・・

コトバになっていかないそれは、
私にも何なのかわからないけれど、
日の出を見ながら「それ」が大きくなってゆくのを感じた。


陽が昇り、
それでも、目に見えるように空に広がりゆく太陽の「輪」と、
田んぼの水から広がる「水紋」、
心のふかいところ、静かなところに降りてて行ったとき、
眼を開いて、見えるものはメッセージに満ちている。