2012年9月29日土曜日

お月さま

昨晩、一昨日と冴えわたる「月」
明日は中秋の名月。



もう10年も続いているという「大人のための お月見おはなし会」
高橋節郎記念美術館の主屋で行われた。



「お月さまのはなし」では、
「気前のいい」おばあさんのところに月がいるときはごちそうを食べてどんどん肥り、
「ケチな」おばあさんの家ではどんどん痩せてゆく・・
それを繰り返して、満ち欠けができた、という話・・・




朗読される方のお母さんがつくったという地元の民話から、
福島をはじめ日本の民話、ヨーロッパの民話、
腹を抱えて笑ったり、感心したり、ちょっと怖かったり・・
引き込まれてしまった。

心理学者の故・河合隼雄さんによると、
世界中の民話も、人間の心のふかいところではすべてつながっているらしい。
私の中にもある「気前のいい」私、「ケチンボ」の私。

日本の秋のうた・・
箏の音色が澄んだ空気に混ざっていって、心で響く。
「しずかな しずかな 里の秋・・・」

心の奥のふかいところにあるもの・・
文明で見えにくくなっている、かたちのないもの・・
先祖が大切にしてきたもの・・
聴きとることのできるような こころのゆたかさと静けさを持ちたい。



今宵の月には 何が映るだろう。



2012年9月28日金曜日

御船祭り(2)


雅楽の音とともに儀式が始まる。
久しぶりに聴いた「笙」の音色はやはり、天から光が差し込んでくるよう・・



子ども船が三隻、順番に入って来て奉納。




今年は大河ドラマの影響もあるのか「平家」物の人形が多かった。
この船は「壇ノ浦」の場面。



掛けられた着物一枚一枚・・健康が願われている。

いよいよ大人船・・・
ケンカ祭りと言われるが、ぶつかり合いは「男腹」と「女腹」を合わせる子孫繁栄を願う「神事」。





お囃子の音色、鐘の音、掛け声・・
そしてぶつかり合う船の木と木が軋む音・・・

海のない安曇野で、この「御船祭り」が続いてきたという歴史。
同じ九州から来たという安曇族に想いをはせながら、
感慨深かった。

御船祭り(1)


一日中、白馬の方まで、山の稜線がくっきり浮かび上がるほど「晴れ」わたった9月27日。
この日は毎年、穂高神社で御船祭りが行われる。

昔からずっと、稲の刈り入れも終わり、ほっと一息つける頃なのだろうか。



天智天皇の時代、百済王を助け、唐・新羅と戦うも、
白村江で敗れて亡くなった安曇族の英雄「阿曇比羅夫」の命日。


いくつかの地区から船が出る。
大人も子供も、みんなで綱をひいて神社まで進む。





境内では奉納ステージで「地唄舞」が披露されていた。
三味線の音色と唄の旋律が心に響く。




稚児たちのかわいらしいこと・・


奉納太鼓のリズムが心身を揺さぶる。
いよいよお祭りが始まる。


2012年9月27日木曜日

湖面

仕事で訪れた諏訪。
諏訪湖でカイの散歩がてらホッと一息。



空を映す鏡のような湖面に突然、波模様。
早朝の湖を渡る風。





「湖」は、海とはまた違う独特の静謐さを持っている。
自身のこころと向き合えるような、深く入ってゆけるような。



カイに引っ張られ、
ハアハアとカイが見つめるその先は・・


そしてカイも見つめられている。


その向こうの空、
空を映す湖・・


雲が遠くへ流れてゆく。


諏訪にも秋の風が吹いていた。


2012年9月22日土曜日

強さ



「観た後3日くらいは下を向いてしまいます・・」
と、役者さん自身が公演後に語っていたように、重たいものが残ったまま・・。


青森の現役高校教師が原作の戯曲。
いじめを受けていた少女が自殺し、遺書で加害者と名指しされたクラスメートの親たちが学校に呼び出されるところから始まる。
生徒は最後まで出てこないが、保護者と教師のやり取りを通して、目をそむけたくなるような人間の醜い側面が次々と現れてくる。



「傍観者」という選択はない、いじめる側に立つか、いじめられる側になるか、
巧妙化し、陰湿化し、残酷化してゆく「いじめ」の現状。
加害者とされる親たちは、「我が子だけは」「我が子を守らねば」と、エゴを暴走させてゆく。
その姿から見えてくる、「親」という役割を担った、ひとりの「人間」の孤独、不安・・本人にさえ自覚できていない歪。


休憩なしの公演が終わるまで、見ている方も息が詰まるようだったが、
演じた役者さんも、セリフの一つ一つ、あるいは「沈黙」を通して、張りつめた空気を創りだすのは、並大抵ではなかったようだった。



終わって、簡単な交流会のとき、最後に一人の観客の男性が、口を開いた。
「・・僕は、ずっといじめられてきました。」
ひとこと ひとこと、体の奥から、震えながら言葉を取り出していた。
こういうテーマの演劇を見に来ることは、本当に勇気が必要だっただろう。
でも見に来れたことが自分が強くなれたことのような気がするというようなことを言っていた。

彼のことば・・・身体の奥の方からでてきた言葉、に胸が揺さぶられた。
彼が、人前で発言できたこと・・きっとこれからの人生で大きなきっかけになるんだろうなあ、と思った。


「いじめ」の問題、子供の世界だけに限ったことではないと思う。

「さみしさ」「つらさ」自分の感情に蓋をして、
自分自身を見つめなくて済むような生き方をして、
それに慣れてしまった大人たち、
でも「人」はそんなふうにはできていないから、
蓋をされたものは、気がついてもらえるよう、形を変えて現れてくる。

自分に向かうか、他人に向かうかは、人それぞれなのだろうが、
おかしな社会の構造と同じく、
弱いものが、強いものの歪のはけ口のターゲットになっている現状。



でも、群れることで強くなった気がする「力」より、
その男性のように、孤独と向き合って、自分自身の中から湧いてきた「力」が、
ほんとうの強さや優しさに育ってゆく気がする。



7月に植えた「朝顔」・・諦めかけていたが、
今年は残暑が続き、
ようやく今頃開いて、窓からの風景を明るくしてくれている。






2012年9月16日日曜日

木曽路

主人の両親、姉と「中山道」をゆく。


「巴が淵」

水流が巴を作って渦を巻いていたことから、巴が淵と名づけられたらしい。
「巴御前」は、 ここに住む竜神が化身して、中原兼遠の娘として生まれ、
ここで「水浴」「沐浴」して育ったという。


文武にすぐれ、絶世の美女として義仲を支えた女性。



義経の武勇伝や、家来の姫たちの物語は、
昔は「尋常小学校」の教科書にて伝えられていた、と資料館の男性が熱く語ってくれた。

筑前琵琶の師匠の18番の「語り」の場面を想いだした。
当時の私には、登場人物の背負っているものに押しつぶされそうで苦しかったが、
先生は、どんな「運命」「境遇」の中でも、自分の「それ」を受け入れ、
精一杯そのいのちを全うした姿を、唄と、自身の生きざまを通して伝えたかったのだろう。
きっと、今でも。




「山村代官屋敷」
徳川の時代、木曾谷を約280年にわたり守ってきた代官の屋敷跡。
庭は「木曾駒ヶ岳」を借景にしてつくられていた。



歴代にわたる代官の「書」や「絵」、当時の食事や食器、衣類など展示されていて、
その権力の大きさだけでなく、
目指していた世界や価値観が垣間見れて、とても興味深かった。






宿から見た御嶽山の夕焼け、

天の川、オリオン・・三日月と星々のまぶしいくらいの輝き。



大好きな家族の元を訪ね、リードを外して、はしゃぎまわったカイ。
帰りの車の中では、シートにも上がらず、この姿勢のまま・・・寝いっていた。


2012年9月10日月曜日

黒い太陽

初大阪・初「コブクロ」ライブ。

ほぼ日帰りの強行軍だったが、
「曲」や「作品」・・表現や想いは違えど、
その中に込められた、
つくり手の心の中にある強い「ちから」を体感した。


大阪万博公園に5万人が集まった復活ライヴ。

入口の「太陽の塔」。
こんなに大きいとは知らなかった。
何かわけのわからないものが湧いてくるような、とてつもないエネルギー、その迫力。







6年前、私は安曇野に住むと決めて来たとき、住む場所も仕事も決まってなくて、
でも胸の中のまだカタチにならない「想い」だけが、ただただ強くあって。
そんなときであったのが彼らのメロディに乗せた「メッセージ」。
ほんとうにどれだけ聴いたことか、励まされたことか。

「友人に宛てて書いた曲に、休業中、どれだけ自分自身が励まされたことか・・。」
とかみしめて唄う姿が印象的だった。
心のふかいふかいところへ降りて、見つけたものは、自分や特定の誰かにだけでなく、
たくさんの人に響く、響きあうのだろう。




闇の中を深く降りててゆくことは、とても勇気もエネルギーもいることだろう。
でも深ければ深いほど、
時代も人種も超えて届いてゆくのだろう。



太陽の塔、裏側の「黒い太陽」(という名前を後から聞いて納得)、
どのくらい大きいのかなあ、と帰りに ぐるり と回ったときに目に入って、
すいよせられてしまった。


怖さ、美しさ・・なんて表現したらいいんだろう、
日が沈み、雨雲がたちこめ、雷が轟き始めて、やっとその場を離れられるくらい。


おどろおどろしさと気高さ、
激しさと静けさ、
創造のエネルギーの「元」にふれるような、
仏像の前に立っているような、
真っ暗な海の上にいるときのような、
「不安」も「希望」も、
「創造」も「破壊」も、すべてまざっているような「はじまり」・・・。


照明がともり、また表情を変えてゆく「黒い太陽」。
雨が降り出し、後ろ髪を引かれる想いであとにした。




こちらは、表の「太陽」の夜の表情・・・。


家に戻った今も
私のこころの奥に、

まだ熱いものがまだ残っている。