2013年4月29日月曜日

ひかり



目途のつかない作業に溜息しながら
帰り道に浴びる
眩しいくらいの月の光

月は、常念の雪の稜線くっきり浮かび上がらせ、
吐く息をのみこませる。


そして朝のひかり。





日々
芽吹いてゆく木々は
夕の日に射されて
点描画のよう



混乱する頭
迷い、不安・・の心にも差し込んでくる。


2013年4月25日木曜日

うまれる・・・
「創世記」とか「宇宙」とか見たことはないし、
コトバでしかわからないのだけど・・


火入れして6日目の窯ののぞき穴から見たものは、
そんな世界を垣間見せてくれた。
はじめて体験するような「異次元」。






松川村の平林さんの「昇窯」。

炎のいろ、音、熱・・
そしてそれがかもしだしているもの・・
土と木と火・・
作品をつくる平林さんが窯に入れたあとは、
土の、木の・・窯の中へ運ばれるまでそれに関わった人たちの想いと、
自然が織りなしてゆくコラボレーシォン・・・


そんなことを考えながら
1200度にもなってきた炎をつつみこむ、
それ自体が 生きているような、
あたたかい「窯」の横で、

澄んだ朝の空気に響く、
木を割る音、積む音、炎の中ではぜる音、
とても
心地良く、
しずかな・・
こころの奥にある湖にでも佇んでいるような、
神聖な時間を過ごさせてもらった。


12分に一回薪をくべるのだそう。
あと2日かけて窯の後ろの方まで温度を安定させてゆくらしい。


徹夜で火の番をして、
「今が一番いい時」と、とてもいいお顔でおっしゃる平林さん。
この ときへの、感謝や愛情が、
この窯 みたいに、
じわじわと全身から伝わってくる。

「自分が最初に体験した感動をみんなにわかちあいたい。」
と、今年は約2週間後の窯出しも公開で行われる。




積みあげられた薪の向こうは
りんごの花が、もうつぼんでいる。




桃はまだ咲いているものの、
桜が散り、
田んぼの季節もいよいよ始まり、
いよいよ本格的な「春」がやってきた。






2013年4月21日日曜日

なごり雪

ドカッと きた。

この不思議な静けさは・・
朝、障子を開けると、また冬の景色に戻っている。



庭のもみじの新芽は 真紅。
一瞬 秋からまた冬に突入したような錯覚に陥る。


有明神社をカイと散歩。
満開を過ぎた桜に雪が積もり、
雪の塊がドサッと落ちると、
続いて花びらがハラハラ舞い落ちる。





春の雪の重みに
しなりながらも 太陽を待つ草花。

きっとこの後は本格的な「春」がやってくる。


2013年4月19日金曜日

森の中へ


人のまだ入らない
冬の気配の
静かな木々の中にいると

いかに
日常
自分の想念の
あるいは他人の想念の中に
生きているのか 
気づかされる。



どっしりと
しずかに
余計なものは一切なく


ただ 流れていく

時間も
風も



冬季閉鎖していた「中房線」も今日の正午から開通するらしい。

山、森、木々・・自然への想いを抱きつつ、
時に傷つけ、汚し
いろんなものを背負ってやってくる私たち人間を
今年も森はそっと受け止めてくれている。




2013年4月14日日曜日

さくら

「春は名のみの・・」
という歌詞通り、

桜は開花しても、
また冷たい風がやってきて、
冬の名残を花びらの上にのせてゆく。




それでも
すこしずつ 冬は春の勢いに押しのけられて
日に日に

・・と、いうより
日差しが強いときは
朝昼夕で目に見えるほど
芽吹きで
枝から、土から、いのちが、
色が あらゆるところから吹き出し始めている。



・・・それなのに

ここ数日
目の腫れがひどく、瞼を閉じても痛いほど。
そして春の「いろ」も
心の奥まで入ってこない感じだった。

痛みや不安は
日常に差し障りながら、

一方で
「この症状の原因は・・
心の中の何を見ないようにしているんだろう」
漠然と考えてもいた。


桜見にも行けずにいたら、
友人が差し入れてくれたお料理。
そして
お見舞いに頂いた、
てづくり花瓶付のさくら・・


人と人とのかかわりと
仕事の緊張の後
ゆったり
白い花びらに励まされたような、
この春初めて「さくら」に出会えた気がした。


私と世界をつなぐ「窓」

見たくないものも「見る」勇気と、
それでも美しいこの世界の色が
より鮮やかに
見えるよう願う。



2013年4月7日日曜日

御御堂


そこに座っていると、
「海の深いところ」に潜っているときみたい。


息が深くなって・・
身体も重力から解放されたように自由になって・・・
ふかい静けさに潜(はい)ってゆく


繰り返す雑念と
心地よさのはざまで
時折訪れる心の奥深くにある絶対的な安心感。




私はどの宗教に属しているわけではないけれど、
宗教、宗派には関係なく、
人間の心の奥底には「祈り」の世界があって、
それは深いところで一つにつながっているように思う。



鎌倉の修道院で久しぶりに再会したシスター。
この方との出逢いは、
自分の中の新しい扉をいくつも開いてくれた。
出会いは、また次の思いがけない出会いを創ってきた。


今またその螺旋のループが
ひろがり、深まってゆくのを感じる。
「祈り」のなかで。




横須賀は春爛漫。
主人の実家は花桃が満開。

突然の春の日差しに
溶け込んでしまったかのように
カイは
一足早い「春」を吸収していた。



安曇野に戻ると、
家の周りの
桜の蕾もちらほらほころび始めている。



どこにいても、
深く目を閉じれば、
感じられる、
こころの奥深くにある
私自身の「御御堂」
改めて原点に返った時間だった。