2011年2月28日月曜日

ありがとう

3か月通った職業訓練校の座学が、今日で終了した。

3か月前、はじめてこの席に座ったときに見た、窓の向こうに広がる雲一つない青空、と、北アルプスの山々。そして、心はとっても不安だった。

雪が降ったり、晴れたり、虹が出たり・・毎日、この席から眺めていた。
時に、大好きなこの景色さえ、見るのが嫌になりそうなくらい、心が萎みかけたこともあったけど、
遠くのこの景色だけでなく、この教室のなかの、先生方のあつい想いと、あたたかい仲間に支えられ、無事終了することができた。
3か月前は全く知らなかった人たち・・年代も環境も違い、いろんな状況を抱えつつ、こうして縁あって集い、ともに学び、何かを共に乗り越えましたよね。
先生方、みなさん、そして見守ってくれた山々・・ありがとう。

初日とは逆で、今日は雨で遠くは見えなかったけど、心はすっきり晴れてましたヨ。・・瞼はちょっと腫れたけど。


2011年2月27日日曜日

お茶して行きましょ!

信州の人に「、~ししょ(下線、軽く強め・下げ調子)」と言われたら、let'sでなく、遠回しな軽い命令、もしくは強い勧誘。(ですよね?)
     
近所の友人(とはいえ彼女はもう70近いが)の家に届け物に行く。
玄関先では結局いつもこうなる。
     「へー(さあ、とか、ねえとか)、お茶飲んでいきましょ。」  (勧誘)
         「いや、今日は・・」
     「そんな言わなん(言わない)で、へー、上がりましょ。」  (強い勧誘)
         「いや、時間が・・」
     「いいで(いいから)、座りましょ!」  (軽い命令)
            (中略)
     「飲みましょ!」              (命令)
     「食べましょ!!」            (強い命令)

そして、信州の人の「お茶」は、九州の人にとっては「食事」である。
九州人のイメージする茶菓子は、テーブルの隅の方に追いやられていて、メインは漬物。
たいていの家で、手作りだ。野沢菜、沢庵、菊芋・・。
そして煮物に、手作りリンゴ干しなどなど・・
別の友人の家では、手作りのイナゴ煮や蜂の子が出てきて面食らったこともある。

気をつけねばならないのはお茶!
おいしいな~と飲んでいると、半分もなくなる前には、またなみなみと、注がれる。
              
         「いや、もう・・」
     「遠慮しなんで(しないで)、飲みましょ!」
この繰り返しが永遠続く・・・。今回も五杯目まではおぼえてるけど・・。立ち去るまでは、彼女は、何度、急須にお湯を注いでくれたろう。
私も学習能力がなく、つがれると、ついうっかりまた飲んでしまうのが、いかんのだが・・。
 
せっかくなので、「写真、一枚撮ってもいいかなあ~?」って訊くと、
「やだや~、今日は何にもないじゃん!」って言ってたけど・・十分アリマス!
確かに、もっと量も、内容もスゴイときもあり、完全に、漬物がメインディッシュな食事になってることもあるけど、いつ訪ねても、こんな感じで準備があるのが、すごいと思う。


2011年2月26日土曜日

有明山

「有明」という名前に魅かれて・・
有明山の麓にある、「有明」という名前の宿で働くために、この地へやって来た。
5年前の話。
九州には有明海という名前の海がある。
信州に有明山??なんだろう?と単純に思って。
まさか、自分がこの地に根を下ろしていくことになるとは思わなかった。

いつか、上高地の明神池へ行ったとき、そこの神社に、兄社は福岡市の志賀島神社であると書かれているのを読んだ。
「は?」と。
そしてよく読んで、本当に驚いた。

志賀島は、わたしにとって、実家の先祖のゆかりの地。小さな頃から、お墓参りを兼ねて、家族で、あるいは遠足で、大人になってからはドライブで、また船で、好きな人たちと訪れた思い出は数知れない地。

そこが、安曇野の由来、安曇族の故郷だ、という説。海の部族は遠い昔、支配者から逃れて、部族ごと日本海を渡り、糸魚川から下って、この地に住み着いた、という。
海のないこの地で、穂高神社には、今でも御舟祭りが継承されている。
博多ではよく朝ごはんで出てくる「おきゅうと」。
海藻からつくられるものだが、こちらでは「えご」という名前で、冠婚葬祭の時などに出されるらしい。私も友人の家で、出されたとき、びっくりした。

遠い先祖?は、現在信濃富士とも呼ばれる有明山に、雲がかかって、頂上だけが見えるとき、
・・・故郷をしのんで、その頂上を、海の向こうに見える志賀島に見たててあがめ、
後の人が有明山と呼んだのかもしれない、と書かれた本を、読んだことがある。

そんな話は知らなかったけれど、宿で働いている間、有明山にはほんとうによく登った。
険しいけど、しずかで、なにもなくて、それがよくて、また登る。

窓から有明山が見える部屋が、嬉しくて、その日にアパートを借りて二年ほど住んだこともある。
まさか、この山の麓に住んでいる人と、結婚して、生活し始めるとは・・。
彼は有明の湯に魅かれて、この地に移り住んでいた。
近所にいたものの、全く面識もなかった彼。
私が、この地を出る準備が整ったときに、「有明山からのプレゼントです」と、友人から仕組まれて、出会ったのが彼だった。
友人も、ツボを心得ていたんだなあ・・

今日も里まで少し下って、有明山を眺める。
夕日が落ちた後の、なんともいえない、威厳のある姿。安心感。
私の遠い先祖もこうしてながめてたのかなあ・・
有明さん、ここへ呼んでくれてありがとう。プレゼントありがとう。



2011年2月25日金曜日

でた!

オバケ、じゃありません。
出たのは虹。 しかも玄関を出たら、目の前に、その柱が!

朝、小雨の中、仕事へ向かった夫が、慌てて戻ってきた。
「太陽が出てきたヨ。虹が出るかも。」と自分の一眼レフを取って、また出て行った。
そして、しばらくして、電話。
「今、虹が、有明山に大きくかかってるよ!」
台所仕事もそのままに、そとへ飛び出すと、なんと、目の前が大きな虹の柱!
どうやら、うちの裏に流れている沢から発生してるらしい。

いつだか虹の出るところ、柱の根本を追っかけて走り回ったことがあった。
近づくと見えなくなる、夢の中みたいな不思議な記憶。

大きい柱はちょっとこわい気がしたのか、無意識に車に飛び乗り、遠くから全体を見ていた。確かに有明山をすっぽり囲んでいる。
うちの?虹の柱は、何処に繋がってるんだろう・・と眺めているうちに
すっかり色がうすくなり、慌ててシャッターを押す。

いったん家に帰り、支度をして学校に向かうものの、気になるのは、バックミラーに見える虹。
消えたと思ったら現れて・・・

学校では、授業が始まり、ブラインドが降ろされるまで、東に広がりながら降りてくる虹が見えた。

教室より
babaさま撮影





2011年2月24日木曜日

できた!

うわっ、できた!
・・なんか憑き物でもとれたような、突然の遅達感、やっとこさの到達感。
ひさびさの、このうれしい感情は、1枚のハガキ作成。

オデキができたわけでも、子供ができたわけでもない、です。

全く未知の世界だったパソコン。何がわからないのかがわからない「迷妄」の中にずっといた。
2か月前は異言語に聞こえた用語が、今、少しずつ雲がはれてきて、理解でき、操作できるようになってきた。そして、今日、言われたとおりにやってみて、はじめて、思った様なものが・・印刷機から出てきた。
・・・・・・・・・・・できた

はじめて「鉛筆とハサミと糊があれば、もっと、思いのままできるのに・・」と思わなかった。
もちろん、鉛筆や筆には、その人が、それでしか出せない「味」がある。
でもパソコンにはパソコンにしかできない「特徴」もあるわけだ。
どちらも、人間の生み出したコミュニケーションの手段でもある。
大事なのは、伝えたいとするその人の心の中のもの。

一つ、乗り越えて、そう感じて、振り返ってみると・・・乗り越えたのは、ちっちゃな自身のコダワリだったのかも、って思えた。

2011年2月23日水曜日

超 小旅行

今日もうららかな昼休み。休憩時間に自転車で穂高川沿いをサイクリング。早春賦碑のあたりは、車が列をなして皆様お昼寝中。
ずっとつづきそうな、温かで、平和な日差し…。同じ地球上では、地震や噴火、テロやデモでたくさんの人が今も苦しんでいる…。 なにもできないな。 なにもできないけど…。
こころの片隅に感じながら、ペダルを、ただ、ただ、こいだ。

2011年2月22日火曜日

獅子

昨日今日で、教室から見える北アルプスの雪はどんどん溶けている。
教室から、休憩の度に外を見ると、朝と昼、そして、帰る夕方では
みるみる山の雪肌がそがれていくのがわかる。
雪崩警報が出ているのもうなずける。
今日は、完全に鹿島槍の獅子が出ている。(真ん中)
学校や駅のまわりでは、少し歩くと、汗ばむほどだし、鳥のさえずりも、もう春をつげている感じだ。
 
ところで、うちの旦那サマは雪形が大好き。
特に鹿島槍の獅子がお好きなようで・・

見に行くだけでなく・・
自作の椅子
獅子が彫ってある


薪ストーブ
わざわざオプションで
獅子をつけてもらった


自作のグラス
北アルプスの山々の
雪形を彫っている
ここは獅子

うちの中では、年中雪形が見られる!?
 でも,うちへ来て、これに気が付くのは、ほぼ山の人か、雪形を知っている地元の人だけです・・・。

獅子とセットの鶴も、今日の午後はぼんやり出てきていた。

2011年2月21日月曜日

土鍋

毎日土鍋でご飯を炊く。
他のことに気を取られてたり、慌てていると、湯気や匂いの変化に気付かず、
焦がしてしまったり、蒸らしが足りなかったりすることもあるけど、
失敗してもそれなりにおいしい。うまくいくと本当に美味しい。
ガスで炊くのと、薪の火で炊くのとでは不思議に味が全く違う。
火のエネルギーが違うとはこういうことなのだろうと実感する。
炊きあがった後は、しばらく大きなタオルにくるんで炬燵の中に入れておく。
炬燵に電気は入ってないが、炬燵の中はほんのり暖かいのだ。
冬の朝は暖かいことが何より・・
それにしても、今日の日中の暖かさ・・・春を感じさせる。
うちのあたりでもトンボが飛んでいたらしい。
たった一日で遠くの山の雪もずいぶん溶けているのが見えた。

2011年2月20日日曜日

打ち上げ、と、花火

打ち上げ花火でなく・・。

昨晩はこの冬を過ごさせてもらった職業訓練校の打ち上げ(親睦会)。
この年齢で、思いがけず、学生気分(体育会系)・・を味あわせてもらった。それぞれ抱えてる厳しい状況の中で、それぞれが自身の峠をなにか乗り越えられたのではないだろうか。あるいは乗り越えようとしているのだろう。

私にとっては、本当に苦手だったパソコン。3か月前、まさか自分がブログをやってるなんて、想像もできなかった。
ホント辛かった。そして今は本当にうれしい。パソコンから、というよりも、あの状況から逃げ出さずに頑張れたことが。
熱い!先生のひっぱりと支え、そしてともに頑張れた仲間のお蔭です。
そして、心配したり、応援してくれた両親や友人・・何より旦那サマ、ありがとう。
つくづく世話の焼ける大人だと思う。
みんな、ありがとネ。

宴の後、空には大きなお月様。雪山の稜線を蒼白く照らしてました。みんな見たかなあ・・

そして早朝、雪山をバックに気球が飛んでました。
みんな・・・、見てないですよね。
見惚れていると、だんだん気球は大きくなって目の前に着陸。車両に乗せられ、しぼんでいく気球の姿を見るのは生まれて初めてでした。

午後から友人夫妻と楽しい時間を過ごし、冬の花火、楽しみました。
夏に義妹が、博多から送ってくれた手づくりの線香花火・・火花が、墨ではらった文字のように、とても繊細で、やわらかいのです。地面の雪をきらめかせながら、落ちる火玉は、夏とはまた違った風情です。

やっと、打ち上げ、と、花火につながりました。

2011年2月19日土曜日

琵琶

博多にいるとき、あるお寺の庵主さんの声と、初めて聴いた琵琶の音色に魅かれて、しばらく筑前琵琶を教わったことがある。もう10年も前になる。

何ともいえないあの音色・・名人になればなるほど、音は枯れていき、あじが出るらしい。
手元に琵琶がやってきたとき、うれしくて、鳴らしてみたり、見惚れたりして、しばらく一緒に寝ていた。
私のイメージは、なぜjか、月の砂漠のうたのような、ラクダの上で、天に向かってしゃらんしゃらん・・だったのだが、稽古は、ほとんどが、歴史ものの唄の語りであり、語りの途中に、合いの手が、じゃらんじゃらんと入る。その歴史の悲哀が当時は重くて、辛くて、くるしくて・・。
あまり上達もしないまま、信州へ移り住んでしまった。
が、先生は、琵琶を持って、山の上までやって来た。
移動が多いなら、と、一番軽い材質の琵琶を持って・・。

この家に来てからほとんど触っていなかったけど、最近知り合った人から、一度、音色を聴かせてほしいといわれ、おそるおそる、袋から取り出した。
ばちを絃にあてると、待っていたかのように、琵琶は鳴り出す・・。以前出会った音楽家が、楽器はそれ自身が音魂をもっている、と言っていたのを思い出す。
でも・・・・ごめんね・・・まったく応えてあげられなくて・・。すっかり全くの初心者に戻っていた。



2011年2月18日金曜日

出るかなあ・・

今日は満月。
出たら、見に行こうと、まちかまえているけれど・・・
曇った夜空も、溶けなかった雪も、蒼白く光り始めてはいるけれど・・
なかなか、輝く月は出てきそうにない。

きっとこのまま寝てしまうな・・

そしてきっと、また、眩しくて目が覚めるんだろうな・・
障子を閉めていtも、部屋は、蒼くって・・

足元の雪が、月の光でキラキラ光るの、見れるかな・・
川に月が溶けるの、みれるかな・・
草や木のように じっと 月のひかりを浴びていられるかな…

2011年2月17日木曜日

ロッキングチェア

先週、旦那様の先輩から頂いたロッキングチェアが、ストーブの前にデビュー。
暖かさの中で、ゆらゆらしていると、なんだか、赤ん坊のときに還っていきそうな・・。
それは、自身の記憶なのか、誰か、赤ん坊のゆりかごを揺らした記憶なのか・・それともただ眠いだけなのか・・・。

2011年2月16日水曜日

ゴールデンタイム

すごく冷え込んでいる、きっと今日は晴れるな・・と、今日もごそごそ暗い中を布団から出る。

夜が明け始めるころ、旦那サマを起こそうかどうしようかいつも迷う。今なら少し散歩に出れば、山が赤く染まっていくのが見えるはず。カメラ好きの彼はいつもシャッターチャンスを狙っている。でも今日もぐっすり寝ているのでやめにした。
太陽が昇り始めるころに声をかけたら、寒い中、カメラを持って、ベランダへ急いでいる。障子がオレンジ色に染まる。部屋が急に明るくなり、台所にあるすべてのものも,強烈に陰影をつけながら、金色に照らされていく。外では、高い木々のくっきりした影が、金色に輝く雪を引き立たせている。

太陽が昇ったのだ。わずかのこの金色の時間、新しい一日の始まり・・我が家ではまさに、冬のゴールデンタイムだ。・・隣の家の隙間から今日は有明山が見える、とか、つららが今!七色だとか、あっちもこっちもと、私たち夫婦は慌ただしい。山々の朝焼けは望めなくても、木立の家の中で想像しながら、ゴールデンタイムを味わう。
  
学校に行くとき山々を望む。青い空に白い峰が映えること・・旦那サマにも一枚、見せてあげよう、シャッターを押して慌てて学校へ向かう。

2011年2月15日火曜日

雪かき

昨晩、大雪と聞き、おそるおそる開けた障子・・見なかったことにしようと、寝てしまったが、夜が明けると、やはり夢でなく、どっしり、という感じで雪布団が一面にかけられている。
雪かきしないと、車は出せないくらい積もってはいるけど、何年か前半年ほど過ごした、八甲田の山に比べれば・・・とつい思ってしまう。
一階はすべて埋まってしまうほどの雪。毎朝、13段の雪の階段を切るのが日課だった。雪景色を期待して行った山小舎だったが、雪の壁と地吹雪でほとんど何も見えなかった日々・・。でも、そんな中で一瞬の晴れ間に見た風景は忘れない。
モンスターと呼ばれるアオモリトドマツの雪をかぶった姿、よく見ると芽をつけている。雪のお布団に守られているのだ。真っ白のどこまでもふかふかの雪、めったに見ない青空は、大げさでなく、あ、この世に「いろ」は存在したんだ・・と実感させてくれるくらい青くて眩しい。夕焼けがやさしく雪を染める時はただただ全身でその色を味わっていた。そのくらい、明けても暮れても、白とグレイの世界だった。
あの時に体験した雪の量を思えば、夏蒲団の様なものだが、雪の少ないここでの、この生活に慣れると、、十分重たい冬の掛布団であった。




            

2011年2月14日月曜日

イルカ

久しぶりに、映画「グランブルー」をみた。
20代の頃よく見た。何とも切なくて、海がきれいで・・。
あの時代の、都会の喧騒と空虚さの中で、あの頃の、独特の感覚を共有していた友人たち・・。いまだに親しい友もいれば、連絡の取れなくなった友もいる。でも、あの感覚はいつでも甦るんだな・・。
ジャック・マイヨールの最期を考えると、また切ないが、人の一生は、人智では計り知れないものなのだろう。
イルカの声がまだ耳に残る。
私も、水の中を潜るのが大好きだ。自分の呼吸以外の音が消え、上下、どこへでも、自在に動けるようになる。
御蔵島で一緒に泳いだ、野生のイルカは、泳ぐこと、というより、水の中のよろこびを教えてくれた。心身の力が、ほんとに抜けたときの、す~と、身体が水に溶けるような感覚・・。
心地よさを知って、はじめて、それまでの心地悪さに気付かされることはよくあるが、水の中は、地上よりそれを、体感しやすい。す~と行けて初めて、それまでそう行けなかったのは、力んでいたことに気付く。思考が。心が。体が。
今も・もしかしたら、自分で思ってるよりもっと、力んでないだろうか・・・「グランブルー」の海を見ながら、遠い友人たち、イルカと潜って頃の感覚に思いを馳せた。

2011年2月13日日曜日

押し雛

久しぶりの太陽。溶けて落ちて来る雪も、風と光にさらされ、キラキラと舞っている。地面の雪も眩しいくらい光っている。久々の外出。
気持ちも、目線も、雪に光る山々・・だけど、車は用事を済ませるために松本方面へ。高い場所からは、安曇野平と、北アルプスの山が一望・・はあ~、やっぱり冬の美しさは格別だなあ・・と思う。帰りに押し雛を初めて見た。押し雛というものを知らなかったので、見慣れた、お雛様の横に、一瞬、何かの切抜きを雛壇に置いてあるのかと思った。近づいてよく見ると、和紙に布が丁寧に貼られており、横から見ると、少し厚みのある凧みたいだ。昔は松本では主流だった押し雛も、今ではもう創る人はいないらしい。女の子の幸せを祈りつつ創ったのであろう、あたたかい手作り感に、心が和んだ。

2011年2月12日土曜日

今日も・・

一日中雪が降った。昨日より、少し重ための雪。
赤松などの高い木に積もった雪は、時おり、上からドサドサッと落ちてきて、一瞬地吹雪みたいに、辺りを真っ白に煙らせる。
犬が身をブルッと震わせて、水を払うみたいに、枝をしならせるほどの雪を掃った低い木々は、またシャンと立ち上がっては、降ってくる雪を抱きとめる・・その繰り返し・・。
表へ出ると、雪まみれ、雪三昧。近所の子供たちが、サッカーボールで遊んでいた。ふかふかの白いスタジアムを見立てているのかな。いや、きっと目の前のボールしか見てないんだろうな。

2011年2月11日金曜日

雪景色

何センチ積もったかは、車が乗せてる雪を見るのが一番わかりやすい。今日は20センチくらいかな。

休日で訪ねてきた友人の幸せな報告を聞きながら、窓の外で静かに降り積もる雪を見ていた。彼女の、艶めいた表情を引き立たせていた。・・・こんなふうにして、風景は思い出となって、身体に沁みこんでいくのかな・・。

穂高駅からの、北アルプスを臨むたびに、きっと学校での辛かったことも、うれしかったことも、出会ったみんなのことも思い出すんだろうな・・。この駅には他の思い出もいっぱいあるけど、こうやって、自分の感情と風景は混ざり合いながら、この土地にいろんな色を塗っていくんだろう。自分だけの。 それをいつか、第2の故郷と心から思えるように過ごしていきたいな。一日、一日を。


さらに積もる雪に、雪かきをした。もう粉雪でなく、水分を含んでいる。この時期で、もう寒さの峠はこえたのだろうか。さすがに、凍った雪の上に積もった雪では、足元をとられ、3回もひっくり返って(転んだというより)自分でもびっくりした。
冷や汗でなく、すっかり温まって、久々にしっかり汗をかいた。

2011年2月10日木曜日

いつかの虹!

学校から、ある日の授業開始直前に見えた虹!この後二重に、そして三重になり…思わず教室を出て、となりの喫茶店主に教えたら、お客さんまで出て来て…みんなで おお〜! …と。ふと我に帰り、慌てて教室に戻りましたが、みんな、この虹覚えてるかなあ?

貼り付け練習

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2011年2月9日水曜日

ゆき景色

夜中に目が覚めると、いつもと違う、ふかい静けさ・・。障子を開けると、一面、また真っ白に戻っている。沢の音も雪は包み込んでしまう。
通学路、太陽が、雪の溶けたアスファルトを金色の道にし、あたりの田畑はどこまでも、雪の)絨毯を広げている。絵のような風景を「一枚」、と思った時、、携帯も、買ったばかりのカメラも忘れてきたことに気が付いた。
「しまった!」・・でも考えてみたら、6年前信州に来るときは携帯は持ってなかった。カメラも一昨日までなかった。失くしてしまう感覚のほうが大きそうで、敢えて避けていた。それが、いつのまにか、「しまった!」と、なくてはならないものになっている。
これこそ、「しまった!」かもしれない。
携帯、カメラ、今や生活の一部になりつつあるパソコン・・確かに便利だし、どんどんと世界を広げてくれる。もっと習得したいと思う。でも、これらは、あくまで、ツールであって、その便利さと引き換えに失くすものもあるのかもしれない、ということ。
家に戻るのを、やめにして、今日は、携帯もカメラも、オフにしよう!携帯、気にすることなく、もっと目の前のことに集中しよう。カメラに記憶を委ねる代わりに、いいショットを探すかわりに、しかっり、この美しい景色を目に焼き付けよう!このピンと張った空気とともに。
そして、もう一度、注意深く、ゆったり、雪景色を味わった。

2011年2月8日火曜日

麦踏み

学校の帰り、空がまだ明るかったので、畑の様子を見に行く。
雪が解けて、去年収穫できなかった大根の葉が姿を現していた。・・といっても、種を蒔くのが遅すぎたため、ほとんどが大きくなる前に寒さで成長がとまってしまったものたち。ところが、この、間引き菜のようなちいさな大根には、一つの命が、凝縮されたように、ぎっしり詰まっていて、とてもあまく、切らずに丸ごと調理できるので、料理にもとても重宝なのだ。今年は、あえて遅く蒔こうか、と思っているくらいである。
ちょうど、在庫が薄くなった頃、顔を出してくれてほっとしている。先日までは地面も凍っていて抜けなかったけど、細いのは、大丈夫!

そして、麦もずいぶん成長していた。強くなってね!と踏み歩くものの・・溶けた雪でぬかるんで・・・靴が泥だらけ・・。
これでは明日学校に行けないので、家の裏にある川まで、氷を踏みしめ、降りていく。
-40度まで対応の靴は、学校と、畑の往復では、本領を発揮できておらず、気の毒…川の水もずいぶんぬるんでいた。(あたりが冷たすぎるのか・・)
そのうち、麦踏みでなく、雪!踏みに行くから、ネ!

2011年2月7日月曜日

薪ストーブ

夕方、家に帰って来ると、じんわり暖かいのは、ストーブの中に残ってる、おきのおかげ。木がパチパチとはじける音や匂い、そして見ていて飽きない炎は心身を温めてくれる。
ストーブの上も周りも、気が付くと鍋だらけになっている。冬のよろこびであり、なくてはとても過ごせない有難い存在である。

2011年2月6日日曜日

呼吸

いろんな人に出会ったり。新しい出来事が重なったり・・変化するときは、興奮も緊張もするけど…そうそう、自分の呼吸で、ゆっくり行こう・・・ゆったり行こう。

2011年2月5日土曜日

冬の日

快晴が続いている。信州の冬は寒くて厳しいけど、この季節にしか体感できない透明感の中に、うつくしいものがたくさん詰まっている。うつり変わる空のいろ、人をよせつけないような神々しい山々の姿、月夜の雪の輝き、星の瞬き・・
そして我が家の庭の雪の下にも、たくさんの春を待つ命が眠っている。
・・・しずかで、でも、たくさんの秘めているものを感じる冬が、やはり好きだ。

2011年2月4日金曜日

新月

は、節分の昨日だけど、願い事が叶いやすい、という。膨らんでゆく月のように、おもいも、夢も大きくなっていくのだろう。このリズムにあわせて何をふくらませていこうかな・・

2011年2月3日木曜日

夜明け








      今朝も美しい朝やけでした。
晴れてるのか、曇ってるのかわからない真っ暗な闇は、今朝もしらじらと明けていき、青紫から薄紅、橙へ・・そして木の葉が落ちた冬は、部屋から朝日が昇るのが見えます、というより、一気にあたりの雪も、部屋の中も、まぶしいくらい照らされて、太陽の存在感を体中で感じられる、という感じです。
今朝の日の出は7時4分でした。
「雪くらげ」はずいぶん小さくなりました。



2011年2月2日水曜日

教室の窓から その2

今日は朝から、北の方向白馬の山々がくっきりと姿を見せていた。日が傾くにしたがって、陰影がより鮮やかになって行く。夏になったら、またあの稜線を歩きたいな。楽しみにしてた夕焼けは見れなかったけど、日が落ちると、夕闇の中に雪の山々が、ぼんやり浮き出ていて・・少し、怖いような、でも、懐かしいような・・現実感が薄らぐような色のなか、家に帰った。

2011年2月1日火曜日

教室の窓から

学校にいるあいだ、くっきりと姿を現し、稜線に雪煙をたなびかせている「常念」が気になってしかたがなかった。