2013年8月22日木曜日

「幸せ」


人気アイドルグループの女の子が、
熱狂的なファンに囲まれたイベントを終えて
「今でも ステージで歌ってるのは自分なの?
・・て信じられないことがあるんです。」
って 、
テレビの中で 言っていた。


仕事の帰り道、
緑の海のような
田んぼの向こうに見える山々に射すひかり・・

神々しさ・・

息をのむ。
そして想う、
こんな平和で
美しい 今 に 生きていること、 


自分のことなのに
それこそ
「夢」みたいな気がした。
その、テレビの中の子みたいに。

そして それは 私個人の夢でなく
平和でない時代に生きた 多くの人の懇望だったことだろう。




約束のキャンセルで、ぽっかり空いた時間に、
一気に読んだ小説。
ゼロ戦に乘って 散って行った男 を描いてあった。

あの時代の男たちは
肉体も精神も
ほんとうに 
命がけだった。

その時代を生きていない私は
なにも語る資格も覚悟もないけど、
その小説からも、
これまで会った方から聞いた話や
記念館などの「資料」となってしまった言葉の中からも
感じ取ることはできる。


そして、生き残った男たちは
今度は死に物狂いで働いてきたんだと思う。
男たちのまわりの、女子供たちも同様に。


世界ではまだ戦争が続いている。
震災の後も 被災地では不安や苦しみは続いている。
人だけではない、
声を発しない動物や植物たちも。
そして、
「舵取り」は 命より経済を優先しようとしているように見える。


「私」は、
名もないたくさんの人たちが命がけで
築いてきた歴史の上に、

豊かで 平和な
今を享受している。



申し訳なさも
よろこびも
存分に味わいながら

今 を
わたしの いのち を

今日も
精一杯生きる。







2013年8月19日月曜日

ネイティブ・アメリカン・インディアン フルート

「ああ、この音色だった・・」

素朴で あたたかく 澄んでいて あかるい・・

風に 混ざってゆくような
風から 生まれてきたような

ネイティブ・アメリカンの
インディアン フルート


約15年前、
福岡で 
たまたま 新聞の小さな見出しを見て 足を運んだ
真砂秀朗さんのコンサート。

耳から 皮膚からじわじわ沁みてくる その音色。
何なんだろう、
個人的な感情とは全く関わりのないところで
その音色を聴くと涙が止まらなくなる 不思議な なつかしさ。 

涙は 3か月も続くから
その理由を知りたくて
その「音」が何処から来たのか知りたくて
アメリカ大陸を2か月「旅」したこともある。



一昨日、築120年の米倉を改装したギャラリーで行われたコンサート。
10年以上の時を経て
ここ 安曇野で
このタイミングで
また あの響きを味わえるとは。

奏者の真砂さんも
その後 葉山で自然農の世界を深められていたご様子。
震災後の
そして 今の 彼の音色。
変わらない部分と、
時代とともに
意識とともに
変わってゆく部分。



当時福岡で一緒によくコンサートへ行って
一緒に 感動を分かち合った友は
なぜか 二人とも 去年 旅立ったけど、

とても 近くにいることを感じながら
私たちは何に響き合っていたのか
なにをたいせつにしていたのか
その「音色」をききながら はっきり思い出した。

 

この地で
たくさんの人の中で
慌ただしい日々の中で

自分では気が付かなかったけど、
知らぬ間に
緊張や ふわふわと足が地から離れて
ブレるものが心の中に漂っていたのだろうか、

その「音色」が
心の中のふかい安心の世界に
自分の「原点」に
そっと 運んでくれた気がしている。

この「夏」の
忙しさも 暑さも ようやく峠を越えて
また 新しいスタート!










2013年8月12日月曜日

太陽と雨の洗礼

「降れば どしゃ降り」 
・・という言葉では足りないような 激しい雨が続いた後は、
「射せば灼熱」というような 太陽の洗礼が続いている今年の夏。


先日 曳いた舟が木崎湖へ浮かぶ日。
シンボリックな雲、
その下で始まったダンス・・




しなやかに伸びて 地を駆ける彼女の肢体、
ホーミー 

眼から
耳から
鼻から
皮膚からはいってくるもの

・・・なんなのか 自分でもわからないのだけど
何かが一つになってバンッと衝撃が走り、
涙があふれてとまらなくなった。

何なんだろう・・
今まで これまでの人生で 旅して 感じていたものが
自分の中で一つにまとまった塊となったような・・
コトバは 感じたことに
まだまだ追いついてゆけそうにない。



湖畔の反対側で 
テントを張りながら聴こえてきた
その晩のコンサートのリハーサル。
とても ここちよかった。

キャンプ場の中につくられた『秘密基地』にも
奄美大島のシマ唄が
ミズウミの風にのって静かに届いてきた。


「いつもは唄いだすと晴れるのに、
70年以上やってきて うまれて初めて
唄いだしたら雨が降りました。」
と、
本番は、降り出した強い雨に室内へ移動。
すべてに 意味があるのだろう。


「雨」の洗礼が始まったようだった。


1000年以上も前から
風や波の音を伴奏に唄われていたという奄美大島の唄を、
一音一音 こころに響かすように 伝える彼女の声を 
かつて海だったという この場所で こころに受け取る不思議。



コンサートが終わって

焚き火して
湖の風を感じながら、
友人たちとの
唄ったり 食べたり  語ったり
開放的な 楽しいひと時。



夜も、朝も、帰る直前まで 
雨の洗礼は続いた。
そして
不思議なことに ちっとも嫌じゃなかった。
気持ちいくらい 激しい雨の音。
雨の匂い、土の匂い、葉っぱの匂い・・
いろんなものが洗われてゆく。


家に帰り今だテントは干したまま・・
雨が去った後の
激しい太陽の洗礼。 


カイと16年一緒にいて
カイが扇風機にあたるのをはじめて見た。
まさに 今が この夏「本番」。