2012年5月31日木曜日

壁絵



デイサービスの月替りの壁絵。
ある職員が、「毎月」手づくりで、家事の合間につくって貼ってくれる。
家にある折り紙とかを使って工夫して。




「仕事」の時間に精いっぱいやるのは、皆、同じ。
でも「そこからあと一歩」を、まごころで、さりげなく、やることは誰にでもなかなかできることじゃない。
人に見えないところで、利用者さんたちを気遣ってる「母」たちの姿に、
スゴイなって、こころ揺さぶられ励まされる。


今月の初めの恒例の桜見。
参加できなかった利用者さんと、
この桜の下で記念撮影。

職員と利用者さんの笑い顔。

齢を重ねることは、歓びだけでなく同時に悲しみもふえる。
子どもを看取ったり、自身の体の不具合・・
職員だって同じ。
沢山のつらい現実や、不安を抱えても、
みんなで、手づくりの桜の下で、「ガハハ」と笑いあう・・
人と人が触れ合うことはあたたかい、ありがたい。






2012年5月27日日曜日

樹木たち


土曜日、烏川渓谷緑地 森林エリアで行われた「からすの学校」に参加。

講師の馬場 多久男氏から、
「アカマツ林の林床植生と地位指数の関係について」の講義をうけたあと、
彼の著書「葉でわかる樹木」(信濃毎日新聞社)を持って野外へ。

葉っぱを見たらまずは、「葉の縁はわかれているか、いないか」で分類。
そして、わかれていないときは、「葉にギザギザがあるかないか」・・


「側脈の先端が葉縁に届くかどうか」
「葉は互生か対生か」
・・・・
見分けにくいものがあるときは、葉をひっくり返して、ルーペで毛の状態を見る。


エリア内の遊歩道は、自然の状態を保ちながら、
観察・歩きやすいように整備されている。
新緑の木漏れ日が、葉っぱも、影も揺らしながら通り過ぎる。


皆さん、本当に熱心に、図鑑と葉っぱと木々をにらめっこ。
樹木の種類は多く、見分けるにも、だんだん頭は許容量を超えてゆく。
鳥の声、クマよけの音、子どもたちの声・・


1本の木がここで芽吹くのに、どんだけの条件とタイミングが揃ったんだろう。
まして、他の木でなく、その木がそこで何十年も大きく育って行けるには。
樹木の名前は、そう簡単には覚えられそうにもないけど、
一本、一本、すべて違う、
この地、この場所だけに育まれた、ひとつひとつの「いのち」。

葉っぱひとつでも、こんなに多様な植物の世界をあらためて垣間見させてもらった。


右が今回使用された本。
彼が退官するとき、信大の学生に知識を残せたらという思いで作られていて、
とてもわかりやすかった。

左は明日発売の「いっしょに探そう 野山の花たち」
花を色別に分けており、幼稚園でも写真をカードにしてその「わかりやすさ」を実証したという。
「子どもはすごい!」と編著者である講師は、感嘆しておられた。


講義が終わって、
黄色い花を「これ?どれ?」と悩む大人の私・・
そうか、葉の形からして「「ミツバツチグリ」なのか・・

講師は見かねてか「これはどう?これはすぐわかるよ!」
って紫の野草を持ってきてくれた。
そうそう、さっき足元に咲いていた。
可愛くて、毎年覚えては・・忘れる・・・。

写真にそって引くと、「ムラサキケマン」! 「白もあるんだ!」
「でしょでしょ?!」て嬉しそうな講師、一緒に感激する昨日であった人たち・・

こうやって誰かとの思い出でがまざったとき、
花や木の「名前」も、
自分のものとして、覚えてゆける気がする。


2012年5月22日火曜日

金環日食

以前、ネイティブ・アメリカンの笛に惹かれて、アメリカを旅したとき、
ある部族の人が、
「日食は不吉の前触れであり、絶対に見てはいけない。」
と言っていたし、

日食の見える時間帯の、日本列島の地図が
最近の地震の分布図と重なっているので、こわいなあ・・・
と思っていて、わざわざ見に行く気はしなかった。


木々の水滴が光り輝き、美しい朝・・


石垣の友達から、日食が始まった!との興奮のメール。
テレビをつけたら、日本中が盛り上がっているのがわかる。

皆が、同じ想いで空を見てるのって素敵だな・・・

のそのそ起きてきた夫が
黒ビニールを洗濯干しにかけ
撮影を始めた。


それがこの写真。
長野県は塩尻以南でないと金環は見えないので、部分日食。


確かに肉眼で見ても(つい見てしまった、結局・・)欠けているのがわかる。

あたりがどんより暗くなってくる・・・
雨の前とも違う、不気味な美しさ・・・

明るくなってから外へ出たら、
木漏れ日の影は確かに三日月・・・


太陽と月が、重なっているんだあ・・・
私たちは地球からそれを、今、見ているんだあ・・・

やはりとても不思議な体験だった。

どうか、日食が不吉の前触れでなく、
「環」になっていくことへのメッセージとなりますよう・・。


2012年5月21日月曜日

シャクナゲ

松川のりんご園さんのシャクナゲは今が満開。

今年も、主から大切に手入れされた全国各地のシャクナゲの花が、この地で開いている。








ツツジやミモザ・・
リンゴの花が散った後は、色とりどりの花の匂いがただよっている。
ヒヨドリの声や、蜂の羽音も賑やかである。


そして、こちらは山でひっそり自生するツツジ・・
つい座り込んでしまうような静謐感がただよっていた。


2012年5月20日日曜日

鹿島槍

昼食まで、農作業に出かけたはずが・・・


快晴の空に輝く鹿島槍の双璧・・
ついつい、北へ・・・


山麓の山里は、桜が散りはじめ、新緑は、みずみずしく・・
も少し、近くへ・・





春と夏の混ざった風の匂いに、
カイもたくさん走りたそうだし・・


歩いてこのまま登れそう・・・と錯覚するくらいの山の表情。
もちろん、春山はその表情をすぐ変えてしまう。
見るだけ、見るだけ・・夏までは!


お腹もすいて、小熊山を回って帰る。


カイが見ているのは、木崎湖や安曇平の風景だけでなく・・・


突然やってきて、
「柿の種みたい(夫の言葉)」に、飛び降りていったハングライダーたち。


上がったり、下がったり・・
風と遊ぶ。



真横を駆け降りる最後のライダーの後ろから一緒に走ってみた。

気持ちだけ、一瞬、宙に舞った気がした。

2012年5月14日月曜日

春昇る中房線


この新緑・・。
萌え出た芽吹きの色があふれるよう。
中房線の入口は、まさに春前線が通過した感じ。


満開の山桜も、半ばあたりを過ぎるとまだまだしっかり蕾んで、春を待っている。


中房川は雪解けの水をたくさん麓に送っている。


ところどころ、道の途中で見える北アルプス。
東天井は、光を受けて刃金のようにギラギラ光っていた。



中房線の入口あたりでカイの散歩を済ませるはずが、
景色に引き込まれてか、つい以前の習慣でか・・・
有明荘まで来てしまった。


カイと何百回廻ったろうか、この「散ポーロ」。
心が落ち着く、私の、安曇野での故郷のような場所。


ニリンソウも開き始めている。
滝の音、木々の揺らぎ、匂い、鳥の声・・・
なつかしい場所全体で、いろんな雑念や心配事を掃ってくれる。


そして、やっぱり・・・有明荘のなつかしい面々と、このお湯・・・。
心身が癒される。



帰り道、今まで見たこともない光景に目を奪われた。

光があふれる深い新緑の谷底から、桜吹雪が舞いあがり、
何度も何度も目の前を踊る。
アルプスの白銀、新緑の世界を背景に、自由に飛び回る蝶のよう。
どこから?と思って谷底を見ても、緑色の中房川がずっと下に見えるだけ。


家に帰って、まさに見舞いに出ようとしたとき、
友人が、朝、息を引き取ったと聞いた。
安らかな顔に手を合わさせてもらい、
「あ~、あの風景は、彼女から私へのプレゼントだったんだな・・。」って感じた。
一緒に働いた場所、
よく通っただろうこの道。


夜、友人の赤ちゃんに対面させてもらう。
産まれてくるのも、死んでいくのもすごいことだ、と感じた。
でも、もしかしたら、生きてることも同じくらいすごいこと・・・。
口数の少ない夫が、
「生きてることは奇跡だよ。」
とポツリと言った。







2012年5月11日金曜日

クマガイソウ

すごい存在感だなあと思う。

(これは後ろ姿)


友人が、庭の「クマガイソウ」を切り花にして届けてくれた。
鮮やかな芍薬と一緒に。


ところがこのクマガイソウ、どこに置いても、
「ん?誰かいる?」
というほどの気配を漂わせている。


クマガイソウをこんなに近くでしげしげ見るのも初めてだが、
どこから見ても、何度見ても
不思議さと、ユニークさと、美しさと・・・さらに引き込まれていく。


「青葉の笛」は師匠が大好きで、よく奏でていた琵琶の一曲。
あのころは、「直実」と「敦盛」のエピソードを熱く語る師匠に、
内容はよくわからなかったけど、
彼女を通して、音色と語りを通して、日本人が持つ「哀れ」・・は、なんとなく伝わってきた。
昔の人は、この花を見て源平の世や、その「無常」を感じていたのだろうか。

満願寺のアツモリソウもそろそろ時期かもしれない。




晩に友人が書いた文章が届く。

「・・・全く同じ形の生物は無く、同じ生き方も無く、同じ苦しみも無い。
全く同じ星々も無く、生まれようも、散り様も異なる。…」

和歌山の僧侶である彼の「仏教とはなにか」という、
いつもの熱い「問」のような「叫び」のような文の
ホンの一部分なのだけど、
クマガイソウを見ていると(というより、対峙していると、という存在感。)
その独特さに、自分自身の存在の不思議さ、ユニークささえ、
彼の一文とともに心を揺さぶられた



2012年5月10日木曜日

花・はな・ハナ・・

毎朝、散歩道は色づいてゆく。
緑は広がり、
朝は蕾だった花が、夕方は満開になっていたり、
開いていた花の花びらが散っていたり・・






八重桜は、廃屋で、待ちわびる人もなく、今が盛り・・


うちのベランダには、待ってもいないのに、おさる様ご一行。



いつかここで豆を干していたのを覚えていたのだろう。
思いがけず、プルーンの袋を見つけて、ニッコリだったのか?
思いがけず、整理中のベランダにさるを見つけて、お互いビックリ!
・・が、猿のこの表情「あ、ヤバ!?」
お互いなんだか間が抜けていた。

「春」だからかな。

2012年5月8日火曜日

朝の散歩

満月が冴えわたった日の翌朝は・・

朝いちばんの鳥の声も冴えわたり、
散歩もつい、いつものコースより遠出。


霧のたなびく町を見下ろしながら山麓線をすすむ。


朝露がひかる。もう霜柱じゃない。ほんとうに春が来たんだ。
夏の臭いさえ混じっている。




農家さんたちは、早朝から種蒔きに忙しそう。
私たちも畑によってみたが、ジャガイモの芽はまだ出ていなかった。
桜が散ると、植物も、人も、一気に夏に駆け抜けていく。