2013年1月30日水曜日

冬の光


この季節は、部屋が暖まってから、ようやく雪見障子を開ける。
「ん?赤信号?」
と、一瞬立ち上がったほどの紅い今朝の日の出。

線香花火の先みたいに、その光は少しづつ大きくなって、
紅から、炎の橙に、そして黄、金、銀へと・・


そしてそれを映す、
つららも、
凍結した道も、
田畑の雪も、
刻々とその姿を変えてゆく。







昨晩までは月の光が
北アルプスとこの田畑、各家に積もった雪を蒼く輝かせ、
この世とは思えない風景をつくりだしていた。

いや、ほんとうは、
この美しい世界が「この世」本来の姿なのだろう。
自然の中にすべてはあるはずなのだ。

冬の透明なひかりは、
時々、
私を、
ふかいところから感動と感謝のまざったような涙があふれてくるような
風景でつつみこむ。







2013年1月25日金曜日

くつろぎ

この家で過ごした、初めての冬は、
あまりの寒さに心身凍りついてしまった。

当時マイナス20度はざらだった「開田高原」の冬や、
標高2000m近くの「車山」での冬、
八甲田の山の中での、雪に閉ざされた冬・・・
「雪」の世界で冬を越してきたけれど、
私の、それまでの「冬」で、一番厳しく寒かった。



もともと避暑向きに建てられていたこの家。
・・今年は、二人で4度目の冬。
夫が家の防寒を少しづつ整えてくれて、
通気口が工夫され、床が上がり、ストーブが替り、
障子や、絨毯・・あたたかさを逃さないよう工夫を重ねて・・

全く生活のスタイルが違っていた私たちも、
感情をぶつけあったり、話し合ったりしながら、
「家」の中と同じように、
こころのなかにも
互いにとって心地の良いくつろげる場所を
創ってきたのだと思う。



相変わらず、外は寒い冬、
でも、
今は、このうちの、
この薪ストーブの前が、
どこよりも
あたたかくて
平和で
安らげる場所。

仕事の中で、日常生活の中で、
こころに中に湧いてくる「不安」「怒り」「かなしみ」・・・
「よろこび」も然り。
言葉にになってゆくものも、ゆかないものも、
ここで一緒にくつろいでいると・・・、

薪がぱちぱちとはじける音以外は、
いろんな音を吸収してしまう「雪」に包まれて
一つの感情に流されずに、
この「しづけさ」に
こころの奥深くの穏やかな場所に、
立ち返ることができる気がする。







2013年1月19日土曜日

つらら




どか雪の後の、太陽は、地面の雪カサは減らしてゆくけど、
その分、屋根からのツララをどんどん成長させている。

溶けた雪の雫が
ツララをつたいながら
太さも長さも膨らませてゆくのを飽きずに見ていた。


朝やけのときは桃色からやがて金色に、
日が出ると、白銀に
それから宝石みたいに・・七色にきらきら輝く。




暖簾みたいになってきた場所も。


家の周りのツララのレース・・
長いのは1メートルを越してきて、
さすがに危険を感じて折ったら、
氷の剣・・
ベランダでオブジェになったまま鏡のように木々を映している。



塩水のコップに浸していた水晶のイルカ、
室内に置いていたのに凍っちゃいました。
燕岳のイルカ岩もこんな感じだったのかしら・・・大昔。
外に出して太陽のひかりで解凍中。


そして、
お風呂場のガラスは氷の飾り窓に。
・・・明日は大寒。



2013年1月16日水曜日

ドカ雪

このあたりでは、南の方から降る雪を「上雪」という。

凍りつくような冷えこみの中、北から舞ってくるサラサラの雪と違い、
さほど寒さを感じないのに(たぶん麻痺している)、しとしと積もる湿ったあたたかい?雪。
そして今回は更に「爆弾低気圧」と名前がついていた。


一時、視界が見えないほど一面の白い世界。
里の畑・・・三九郎をやめにしたのだろうか。


私は以前、半年、八甲田山で冬の生活をしたとき、
今まで体験したことのない雪深さの中で、
「しろ」にもいろんな表情があることを知った。
そして「いろ」がある世界を見たとき(わずかに訪れる一瞬の青空とか)、その鮮やかさに驚いた。
信州ではあの独特の・・「重さ」、情念の「深さ」、「暖かさ」は感じないけれど、
久しぶりにあの、先の見えない「白」の、「灰色」の世界を想いだした。




掻いても、また雪がその上に乗る。
(これは掻かなくて成功の例か?)



カイは、丈より積もった雪に・・





気合を入れて・・ジャンプ!
ウサギみたいにピョンピョン跳ねる。


翌日は空が晴れ・・・

誰の足跡かしら?



2013年1月8日火曜日

新年

黒富士が
少しづつ・・
上からうっすら桜色に変わりゆき・・・


明るくなるころにはカメラを持った人たちでいっぱいの元旦の朝。

山に囲まれている日常から、
夫の実家の近くで海を見れることは、
今の私には、非日常的なご褒美のような時間。
カイと一緒に、
久しぶりの潮の匂い、波の音、模様・・
どこまでも広がる空と海を味わう。


日の出は砂浜に映って・・・新しい朝がやってきた。



日常眼に映る山も、
こうして見ている海や砂浜も、
建物も、
3.11以来
目に見えるものは
「ほんとう」なのかどうか、ふとわからなくなることがある。
もやもやしている心の奥には、なにか映っているのかもしれない。


・・と、考えながら、新しい年への想いを深めている私の足元で、
カイ廻る、絡まる・・・
今年もよき年になりますよう。




2013年1月4日金曜日

存在

親友が赤ん坊を産んだ。

同い年だから、
かなりのご高齢出産、
産まれてくるまでの「不安」、とか
その先の「不安」とか、
本人が一番感じていただろうが・・・


彼女の母親からの
誕生の知らせに、
そんなもの、すべてをかき消すほどの、

「存在」することの大きさ、すごさ、を感じた。
「誕生」って、
その瞬間から、この世に「存在」できること。

そして、
抱っこさせてもらった赤ん坊の、
あまりの小ささ、柔らかさに・・・
自分自身もこうして「存在」している不思議、と、尊さを感じた。
無事だった友人への安堵、
産まれてきた彼女の赤ん坊への、愛おしさ、かわゆさもさることながら・・。

年末のうれしいニュース。
大晦日、
消化できないから、こうして言葉にしてみるのだけど、
生きていること、
生かされていること、
の不思議。


家族や心友・・
いてくれるだけで、
その「存在」だけでうれしい、心強い、ありがたい。
近くにいても、遠くにいても。
共に生きていても、姿は見えなくなっても。

心のふかいところで出会えたひとの、
その「存在」は生きてゆく力。


ともに悶々とした青春をさまよい、
ともに成長してきた友人の「存在」、
その友人の長年の願いが叶って、
かけがえのない「存在」がふえた。

2012.12.31