2011年6月28日火曜日

ミヤマオダマキ

一番好きな花。

開田高原に住んでいたころ、山の散歩道で花の蕾を見つけ、
どんな花が咲くんだろうと、毎朝楽しみにしていた。

びっくりした。
初めてこの花を見た私には奇想天外な形だった。
何人かの人に尋ねて、初めてその名前を知った。



あの時に、決めた。
私の人生は「オダマキ」。
今は、自分が想像するよりはるかに面白いってこと!


よそのおうちに、コスモスのように、たくさん咲いていたオダマキを見たときは、
腰を抜かしそうになったが、
私が知らなかっただけで、庭によくあるオダマキ。
このあたりも「深山(ミヤマ)」ではないけれど、よく見かける。

私が好きなのを知って、この春、自分の家のオダマキを、近所の方が移植してくれた。
初めて、庭で見るオダマキ。
ありがたいような、申し訳ないような・・・




もうじき梅雨が明ける。

2011年6月18日土曜日

祝の島

夕べ寝つけず、起き上がっても、頭も身体もボーとしている。
こんな時は散歩!
道路から少し入れば、そこは自然のなか・・
意識まで連れて、狭く暗いところに沈んでいきそうな心身は、
全く別の風に洗われて、しゃっきりと本来のところへ戻ってくる。
自然の力はすごいと思う。
博多にいるとき、それは私にとって「海」だったけど、
ここではそれは、「木々」そして「沢」。



昨日、映画「祝り島(ほうりのしま)」を見た。

コタツだんらんツアーと銘打たれた「出前上映会」。
商業ベースの波に乗らない映画館がどんどんなくなっていく現在、
本当に見たい映画、見せたい映画・・小規模でも、「映画」という一つの媒体を通して、
顔の見える範囲でつながっていく。
本来の姿かもしれない。、
これからの時代の一つのヒントだなと思う。


映画はとてもよかった。
山口県、瀬戸内海に浮かぶ小さな島。
いつか、飛行機の窓から、ハートの形がかわいくて、写真を撮ったことがある。

対岸4キロのところに、原発建設計画が持ち上がったのが、約30年前。
28年間反対し続けている、祝島に住む人たちの日常を、
笑いあり涙ありで、
ほのぼのと、
でもずっしりと胸にくる、島のひとの「ことば」を
美しい風景に包み込んで、
ドキュメンタリーとして撮っている。


「わしらの代で海は売れん。」


海と山に恩恵を受けて、大きくなって、生きてきたこと、
次の代に残していかなければいけないこと、
身の丈を知ること、


彼らにとっては、わざわざ、口にするほどのことでない、当たり前のことなのだろうが、
それぞれが、その人間にしか発っせない言葉で語る。

自分を育ててくれたの島の自然を守るために、
この女性監督を通して、何かを伝えるために。


何年も前、施設建設の是非を問う投票の時、


「あんたたちは金だけじゃろが・・。」とつぶやいた女性。

「自分たちは命を懸けて反対しとる。
あんたたちは命を懸けて賛成しとるのか?」と訴えた男性。


福島の原発の事故が起きた今となって、この言葉の重さは大きくのしかかる。


「誰かに言われたからじゃなく、本気で(島を守ろうと)やっているから、28年続いとる。
みんなそうだと思う。」
「人と人の関係が壊れてしまった心の傷が一番つらい。
それはこの土地にいきてたものにしかわからん。
賛成の人も反対の人も、両方傷ついた。でも、人間だから心の奥はみんな同じだと思う。
いつか元に戻れるといい・・。」

映画を通して、静かに、でも正面から、私たちに何を選択するべきかを問われている気がした。

祝島(いわいしま)は山口県の島の名前だけど、
ホントは日本列島が、
いや、地球そのものが、ほうりのしま、
私たちは、大自然のなかで、
生活している場所の上に
その一部として生かされている。
他の生き物たちとともに。

2011年6月14日火曜日

花吹雪

梅雨の晴れ間・・

部屋の中では、沢の音と雨の音の区別がつかなくて、
窓からエゴの花がポタポタと落ちているのを見て、
また今日もずいぶん降っているんだなと思っていた。

エゴの花は、今年は咲くのが例年より遅かったのに、
例年よりずいぶん早く梅雨が来て、
満開と同時に大雨で、青空のもと開ききった姿を満足に見せることなく、
重そうな濡れ姿のまま、花がポタポタと落ちていく。


階段は通るたびに掃いても掃いても花で埋まってしまう。
家の周りは白い絨毯。
まさに花道、踏むのは忍びないけど、ぐるりと一周できるほどだ。




車の上にもワイパーにも積もった花を乗せたまま運転すると、
木々から降ってくる花花・・
ワイパーから舞い上がる花花・・
初夏の花吹雪。

2011年6月13日月曜日

桐箪笥

主人は古いものが好きだ。

結婚当初、家の中には、古い箪笥や机、糸車、織機・・いろんなものが溢れていた。
古い手づくりのものは、あじがあって私も好きだけど、
生かされずごちゃこちゃあるのは重苦しくて、
必要な人に引き取ってもらったりして
今はずいぶん整理されてきた。


主人の先輩が、お母さんの使ってた桐箪笥を使わないか、と連絡をくれた。
もう置き場所がないよなあ・・と話していたものの、
「使わなきゃ、燃やしちゃう」という言葉に、
「それは箪笥がかわいそう!」と、私たちに火がついて見せてもらいに行く。


信州の家は、蔵が大きい。
冬が長いことも理由の一つにあるのだろう。
歴史の古いそちらのお宅も、風情ある大きな蔵は2階建てで、十分住めるスペースがある。
梁に書かれている先祖の名前・・・
100年前とは近いような、遠いような・・・

そして箪笥がうちにやってきた。



尊敬する山岳写真家・「田淵行男」さんの縁で知り合った先輩でもあり、
田淵氏がその敷地に住んでいた時にもあった箪笥なんだ、と主人は大変な喜びよう。

磨き上げ、ひまし油を塗り(私のマッサージ用だったのだが)、補修作業。
一本も鉄の釘が使われておらず、木でつくられた釘が打ちこんである。
壊れたところは、ちょうど木の釘と爪楊枝が同じサイズで代用。

鍛冶屋さんなどほとんど見ない現代、すべてが職人の手づくり。
今のような「使い捨て」の感覚などなかった、
「大事に」ものと使っていた、生かすことが当たり前であっただろう時代に触れる。

結局、玄関先を整理したら、見事ジャストサイズで収まった。
大事に使わせていただきたい。

2011年6月12日日曜日

甘い香り

家を囲むように生えているエゴノキが一気に満開になり、家中どこにいても甘い香りがする。

遠くからだといい匂いだけど、
直接、鼻を花に近づけると、かなり強烈だ。
多種の蜂がやってくるのもわかる。
この雨で、その枝は、満開の花と、新緑の葉は重さを支えきれず、柳のようにしなっている。
ずいぶん花が落ちてしまい、至る所が白い花の絨毯になっている。

近くの道路は、アカシアの白い花が満開。
運転していても、甘い香りがたちこめてくる。


宅急便が、3つ同時に香りを届けてくれた。

土佐の河内晩柑。
博多の能古島の甘夏。
和歌山の梅と西瓜。

それぞれの果物の、それぞれの発する匂いを味わいながらとても幸せな、豊かな気持ちになった。
送り主や、その地のことを想いながら。

そして、つくづく気候の違いを感じた。

畑のいちごを、今日も小動物に先を越されぬよう、もいで頂く。
甘酸っぱいこの香りが、この地の、この年の、初夏の香りなんだな。
これから、モモ、そしてブドウ、リンゴ・・・甘い、走り抜けるような季節がやってくる。

2011年6月9日木曜日

日常

二、三日前までまだ色づいてなかったのに、
この湿気と陽気であっという間に真っ赤になった畑のイチゴ。
留守中に、友人が植えてくれた畑のイチゴは、冬ごとに少しずつ範囲を広げて、
夏の到来を予告し、
私たちの目と舌をよろこばせてくれる。


吹雪で登頂はできなかったものの、8700メートルから、無事下山してきたKさん、
何も生息していない、冷たく、美しく、過酷な氷の世界。
酸素をつけて、命がけで登る。
一呼吸一呼吸は日常のものとは全く違ったことだろう。
変わらぬ彼の笑顔にホッとする。


被災地へ、信州から、医療の仕事や、ボランティアで言って帰ってきた人たちの話を聞いた。

テントで46泊してがれきの撤去などを行ってきた男性。
帰りに寄ったどこかの公園で、
「生まれた初めてだったけど、カエルの鳴いている声が全身に沁みこんでくるように感じた。
後から考えると、多分、「泥」と「がれき」しかない「死」の世界にずっといたからだとおもう。
「生きている」ってことを全身で感じたんじゃないか。」

陸前高田へ行った女性は、
「満潮時間になると道路が水没してしまう。
人間のつくったものが、すべて流されて何にも残ってないんです。
な~んにも。
安曇野に帰って、その風景を見て、なんてきれいなんだろうと思った。
全く別の時間が流れていると思った。
「あたりまえ」と思っていた日常が「あたりまえ」でないとおもった、
感謝するようになった。」

エベレストの氷の世界も、
被災地のことも、
体験した人にしかわからない、
行った人にしかわからない。

でも彼らの話を通して、
あらためて
「日常」や「あたりまえ」という言葉は存在するけど、
ほんとうはそうではない、

この世界の
そして
私たちのいのちの
あやうさとはかなさ、

・・にもかかわらず、

あたりまえのように「生きている」こと、

「生かされている」こと
そのすごさと尊さを感じた。








2011年6月5日日曜日

海の色

一日どんよりとした灰色の空。
湿度も温度も増して、半日の間に窓の外に見えるエゴの花が開いてきた。
開くと、家のまわりを清楚な白い花で飾ってくれることだろう。

新緑も、梅雨空の下で輝きを失って見える頃、母が送ってくれた玄界灘のお魚。


初夏の海を飛び跳ねていたのだろう、トビウオの青は海の色そのものに感じる。

浜辺から、船の上から、
あるいは海面に浮かんで、見た海原、
見た、という言葉はあんまりしっくりこないな、
波の音、匂い、水温、身体で感じる、思い出せる海の感覚。

自分の呼吸だけが聴こえる海の中・・
何度夕陽が海に沈むのを追いかけたことか。
満月が映る海を見に、または潜りに行ったことか・・。

梅雨で玄界灘もどんよりと時化ているのだろうが、
魚が海そのものを連れてきてくれたように感じた。



2011年6月4日土曜日

コカリナ演奏会

昨晩、穂高の旧図書館で行われた。


16年前、阪神大震災直後、人々の心を癒したいと淡路島へ、駆けつけたミュージシャン、
あのような状況の中では「頑張ってください」とか「大丈夫」とか、どんな言葉も届かないことが身に染みた。
ふと、ハンガリーから持ち帰った木の笛で「浜辺の歌」をふいた。
そしたら・・たくさんの人が目に涙を浮かべ、「震災後初めて泣きました」とおっしゃった方もいたという。
その時をきっかけに改良を重ね、できたのが木の笛、コカリナ。
なんとも
身近で素朴な音がする。


今回もたびたびコンサートをされていたという被災地を、2度慰問しての、写真を携えてのチャリティーコンサートだった。
津波にあった石巻の子供たちが「津波」は嫌いだけど、『海』は好きだといっていた、という話が胸に残った。すごいなあと思った。
浜辺の歌をみんなで歌った。


安曇野は13公演目。一公演ごと、主催地の人にこうやって手作りタペストリーを1枚ずつ、作ってもらい、つなげて、100公演で大きな旗にして被災地に届けるそうだ。
以前東北で主催されてた親しい方は、いまだ見つかってないらしい。

全国の人々の手と手、心と心が、
それは直接的なものでもなく、目に見えるものではないけど、
深いところを支えあえる大きなつながりになって広がっていくことを願う。

2011年6月3日金曜日

有明の湯

有明荘に湧く源泉。

6年前、有明海の「有明」という名前の山に惹かれて、
九州からここまでやってきて、
この山荘で何シーズンか過ごした。
働く仲間とともに、
このお湯にどんだけ癒されたことだろう。


その後、里に下りたとき、この湯がメインのデイサービスを見学。
働かせてもらうことで、
この土地の長老たちと、湯を通して触れ合う事に。


有明の湯を求めてこの地に移り住んだ夫と結婚。
この地に根を下ろすことに。
毎日この湯に、
有明山の恩恵に預かれるとは、
有明荘に来たときは思ってもいなかった。



久しぶりに、新緑の中房線をのぼって、有明荘の大きな湯につかりながら、
この湯が導いてくれている縁の不思議を想った。

そして、2年ぶりにピンチヒッターで出勤したデイサービス。
あたたかい湯につかってほころぶ長老たち、
人は老い、やがてここを去っても、
この山の湯は変わらず溢れてくれているだろうか。


自然の驚異と恩恵・・・
測り知れない大きな懐の中で、
私たち人間は生かされている。