2014年1月31日金曜日

風花

一晩中 強い風に 木が揺さぶられ、物が飛び 風鈴がなっていた。

日の出とともに

風花が

金色が


風に合わせて

ゆったりと舞い上がったり
時に 
激しいカラマツの雨のように降りしきったり


背の高い木々は
幹から揺れて

そのたびに 
高く昇ってゆく 太陽も 
風花も
それがつくりだす金色の花も 
消えたり浮かんだり
・・ゆれている

そして
もっと 揺れていた気がしていた・・心の中にある湖。

風花に
風鈴に
あやされて
おさまってゆく気がしている。


2014年1月17日金曜日

そら

 山の向こうに
あの太陽を
収めてゆく 大きなそら



ひさしぶりに外に出ると

空の おおきさに
おどろく・・

わかっているはずの、じぶんの 小ささにも。


日が沈んだ後の
差すような
雪のない冬の風が
耳も鼻も・・歯にも凍みてくる。

でも どこか この凛とした透明感が 心地よい。


いつだったか
こんなふうに
空をとても大きく ちかく 感じる場所にいた。
遠い国の
地名もわからない場所で


私自身 「どこ」の「だれ」ではなく、
言葉も 
常識 と思っていたものも 
全く通じない場所に

そして ただ
生きている という存在だった わたし

「わたし」という いのちの運命を信じるしかない 状況。
覚悟と同時に 大きなもののなかにある・・というような 心の平安。



氷が張るのも 溶けるのも 自然のように
私の「表面」で 張りつめているものも 時が来れば溶けてゆくのだろう。
誰のこころも その奥底では
きっと自分では想像もできない ダイナミックで自由なエネルギーがあふれている。


そう思えたら
目に入ってくるものが
耳に入ってくるものが
鼻から
皮膚から感じるものが
うんと ちかくなった。




2014年1月14日火曜日

ことば


日常生活には 戻ったものの
心にも 身体にも おもり がついているみたいだった。

いくら「心配」しても 何か変わるわけではない

今まで 足元にあっても気が付かずに過ごしてきた
別の「不安」の扉を、次々に 開いてゆくようなことだ、
と 頭では わかっていても
心身がついてゆかない


そして 日常が戻ってきて
カイがいないということに
はじめて現実として気が付く。

ぽっかり空いてしまったところを
ただ 感じるしかない
これからも 時間をかけて。


何を 見ても 胸に来なかった
帰ってきた安曇野の 美しいはずの 冬の風景。



同じ期間 ラジオでリクエストされた曲が見あたらず ずっと探していた。

その過程で
その曲が 主題歌となった映画のワンシーンが
主題歌の ことば が 
私の胸の奥の方に やってきて 
心の中で 大切にしてきたことへの記憶をよびさまし
「おき」にまた火をくべてくれたような気がしている。


brother sun sister moon
i seldom see you seldom hear your tune
preoccupied with selfish misery・・・

youをどうとらえるのかは 人それぞれなのだろうが
歌詞を通してやってきた 
言葉でない ことば で 
私のこころにまた火が燃え始めたこと、

一日一日
すこしづつ 
朝日が
目だけでなく
心身にも入ってくるように感じられて


生きている
生かされている
自分のいのちを
あらためて 感じている。