実はこの講談を、私は10年前に福岡で聴いているのだ。
当時、遠く感じていたチェルノブイリが、
普通に生活していた、消防士の妻である、ひとりの女性の心情を通して、
「なんの為に生きるのか」
「何が大切なのか」
切実な「問い」を投げかけつつ、
背後にある「原子力」の問題、
個人が到底太刀打ちできない大きな力の恐怖、
「社会」の価値観・・・
最後のシーンで、
予告のような「玄海原子力発電所で事故発生」
予告のような「玄海原子力発電所で事故発生」
の彼女の声と、サイレンに、
戦慄したのを覚えている。
とはいえ、まさか日本で今回のような事故が起こるとは思っていなかった。
10年経って・・
今回、池田町での講談で、
最後の部分は、
「2012年、福島第一原子力発電所で事故発生・・」
ともう、未来のことでなく、
去年のこと、「現実」のこととなっていてた。
私は、講談を通して「悲劇」を知っていたのに。
福島では、いまだにたくさんの犠牲を強いているにもかかわらず、
同じように「未来」がどうなってゆくのか、
見いだせないままでいる。
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