2012年10月2日火曜日

ふるいもの


夫が贈った「カメラ」が、安曇野某所喫茶コーナーに飾られていた。
うちでは日の目を見なかったけど、
ここでは、声をかけられたり、よろこばれたりしているようでうれしい。


夫は暗室で自分で焼いたらしいが、
私は、フィルムを写真やさんに出し、出来てくる日を楽しみに待ったものだ。

フィルムの残りの枚数を気にしながら、シャッターを押す。
現像ができて、光が入りすぎたり、ピンボケしてたり、上手く写ってなかった時の残念なこと!
今でも胸が痛い、のは、うっかりフィルムを入れ忘れて、写した気になって・・
・・開けたとき気が付いた小学校の卒業式。


今は、そんな体験はしなくて済むだろう。
デジカメで、その場で見たり、消したりできる。
写したものを、自分で加工さえできるのだ。
加工はしないけど、機械一般が苦手な私でさえ、撮ったものをこうして公開できる。


そしてきっと、失ってしまったものもあるだろう。


あのワクワク感とか、
シャッターを押す時の緊張感とか、
写真1枚1枚のたいせつさ。

私の世代ですら、感じるのだから、カメラが出始めたときの時代の人たちはもっと強烈だろう。



カメラは目に見えるものだけど、
見えないものはどうか。


たとえば「むかしばなし」。

むかしはテレビもラジオもなく、
今のように核家族でもなく、
動物も、植物も、
月のみちかけや、
食事や風呂で使われた「火」や、
湧き出て、流れる「水」・・・
すべてがずっと今より、自分自身の「いのち」と近かっただろう。

囲炉裏端などで、年長者が語り伝える「むかしばなし」は、
どれだけ聴く人のこころの奥深くに入ってきただろう。



今は、交通手段が発達しただけでなく、
ネットで、瞬時に、いつでも、地球の裏の誰かとも、つながれる。

生活のスタイルが全く変わってしまった。
でも、時代を戻ることはできないし、
戻るだけではつまらない。


「ふるいもの」
「ふるい」と思われていることから、
私たち現代人が失ったもの や、
それでも、今も昔もかわらず、たいせつにされているもの・・ひとのこころのなかにあるもの、
を見つめることはできるかもしれない。



2 件のコメント:

  1. 昨日はご来店ありがとうございます!
    いろんなお話ができて楽しかったです。

    古いものにしかない味わいってありますよね。
    大切にしたいです。。。☆

    返信削除
  2. 私もとってもたのしかった!ありがとう。

    時間を経たものだけが持つ「輝き」もあるのかもしれませんね。
    新しいものだけにある「輝き」もあるように。

    返信削除