山からは呼ばれている気がして燕岳へ出発。
ひさびさの山歩き。
ひとり 雨の静かな山の気に包まれて、
慌ただしい日常で 忘れかけていた自分の「呼吸」が蘇ってくる。
頭をよぎる「気になり事」も小さくなってゆく、
背負っているのは、
自分の「からだ」、そして その背中のザックだけ。
雨露滴る咲きかけた花々、咲き終わる花々が上り坂を励ましてくれる。
沢の湧き水は、雨でも清らかで甘く、のどを潤す・・山の「いのち」の源。
霧に包まれた燕山荘で 「山のはなし」を
オーナーにきかせてもらった後で見た「コマクサ」と「雷鳥」・・
どちらも
この厳しい自然環境の中で
「いのち」を精一杯燃やしている・・。
今までも何度もここで見てるはずなのに、
生まれたてのような「コマクサ」の可憐な姿に
じんと涙があふれた。
雨に濡れた『コマクサ』可憐ですね! 私も若い頃には、結構登りましたが、今は全然登らなくなってしまいました。 あの頃は、新田次郎の本を読み、『山渓』や『岳人』を買って・・。登山用の装備を買うのに、新聞配達もやった。 今は、あの頃のように『没頭』するものがないかもしれない。 歳を重ねて行く程に、何か探さねば・・いや、わかっているのだけれど、スタートできないでいる自分がいる・・! このガスっている山の雰囲気素晴らしいです!
返信削除「わかって」おられるのなら、きっとあとはタイミングだけなのでしょうね!
返信削除新聞配達で登山装備を購入されたのですね、青春の匂いがしますね。
霧の中は幻想的でした。
一寸先は闇って言葉もありますが、
一寸先は「ひかり」ってかんじでしたヨ。
こまくさの全身で「生きている」姿が輝いていました。