すごい存在感だなあと思う。
(これは後ろ姿)
友人が、庭の「クマガイソウ」を切り花にして届けてくれた。
鮮やかな芍薬と一緒に。
ところがこのクマガイソウ、どこに置いても、
「ん?誰かいる?」
というほどの気配を漂わせている。
クマガイソウをこんなに近くでしげしげ見るのも初めてだが、
どこから見ても、何度見ても
不思議さと、ユニークさと、美しさと・・・さらに引き込まれていく。
「青葉の笛」は師匠が大好きで、よく奏でていた琵琶の一曲。
あのころは、「直実」と「敦盛」のエピソードを熱く語る師匠に、
内容はよくわからなかったけど、
彼女を通して、音色と語りを通して、日本人が持つ「哀れ」・・は、なんとなく伝わってきた。
昔の人は、この花を見て源平の世や、その「無常」を感じていたのだろうか。
満願寺のアツモリソウもそろそろ時期かもしれない。
晩に友人が書いた文章が届く。
「・・・全く同じ形の生物は無く、同じ生き方も無く、同じ苦しみも無い。
全く同じ星々も無く、生まれようも、散り様も異なる。…」
和歌山の僧侶である彼の「仏教とはなにか」という、
いつもの熱い「問」のような「叫び」のような文の
ホンの一部分なのだけど、
クマガイソウを見ていると(というより、対峙していると、という存在感。)
その独特さに、自分自身の存在の不思議さ、ユニークささえ、
彼の一文とともに心を揺さぶられた
。
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