2012年7月22日日曜日


これは志賀島の展望台から玄界灘を臨む風景。
小さな島がたくさん見える。



志賀島は、島とはいえ、「海の中道」という自然にできた道でつながっていて、
あの道の向こうに、内海である博多湾、そして福岡市内が見える。
道のこちら側が外海、玄界灘。

父方の先祖のお墓が近くにあったので、小さい頃から何度この道を通ってこの島に来たろう。
家族と。親戚たちと。
そして遠足で、友達と。
大人になってからは、ドライブで。
たくさんの思い出とともに故郷を正面から眺められる場所。


豊かな緑の向こうに能古島も見える。
島の展望台から東西南北・・・海に浮かぶ島を眺めるこの感じ・・・


そう、似ているのだ。
信州で高い山に登り、東西南北、雲海から顔を出す山々を眺めるときの感じ、と。


これは去年の秋、美ヶ原の手前、標高2000メートルあたりからの日の出前の様子。
「雲海」の意味をおもう。

いつかモンゴルで見た、丘の上から草原が風に抜ける様子はまさに「海原」だった。


古代、「安曇族」といわれている人たちも、
大海原で活躍した人たちも感じていたのだろうか、
海と空の間で、生きている、生かされている、この感覚。
この地、信州でも。

「海」は自分の中の何かをゼロに戻す。
リセットされる。

今回はわずかの時間の中で、
海には、入れず「見るだけ」だったけど、
見えない古代の人たちを偲びつつ、
偲びながら・・・安曇野に戻ってきた。

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