2012年9月22日土曜日

強さ



「観た後3日くらいは下を向いてしまいます・・」
と、役者さん自身が公演後に語っていたように、重たいものが残ったまま・・。


青森の現役高校教師が原作の戯曲。
いじめを受けていた少女が自殺し、遺書で加害者と名指しされたクラスメートの親たちが学校に呼び出されるところから始まる。
生徒は最後まで出てこないが、保護者と教師のやり取りを通して、目をそむけたくなるような人間の醜い側面が次々と現れてくる。



「傍観者」という選択はない、いじめる側に立つか、いじめられる側になるか、
巧妙化し、陰湿化し、残酷化してゆく「いじめ」の現状。
加害者とされる親たちは、「我が子だけは」「我が子を守らねば」と、エゴを暴走させてゆく。
その姿から見えてくる、「親」という役割を担った、ひとりの「人間」の孤独、不安・・本人にさえ自覚できていない歪。


休憩なしの公演が終わるまで、見ている方も息が詰まるようだったが、
演じた役者さんも、セリフの一つ一つ、あるいは「沈黙」を通して、張りつめた空気を創りだすのは、並大抵ではなかったようだった。



終わって、簡単な交流会のとき、最後に一人の観客の男性が、口を開いた。
「・・僕は、ずっといじめられてきました。」
ひとこと ひとこと、体の奥から、震えながら言葉を取り出していた。
こういうテーマの演劇を見に来ることは、本当に勇気が必要だっただろう。
でも見に来れたことが自分が強くなれたことのような気がするというようなことを言っていた。

彼のことば・・・身体の奥の方からでてきた言葉、に胸が揺さぶられた。
彼が、人前で発言できたこと・・きっとこれからの人生で大きなきっかけになるんだろうなあ、と思った。


「いじめ」の問題、子供の世界だけに限ったことではないと思う。

「さみしさ」「つらさ」自分の感情に蓋をして、
自分自身を見つめなくて済むような生き方をして、
それに慣れてしまった大人たち、
でも「人」はそんなふうにはできていないから、
蓋をされたものは、気がついてもらえるよう、形を変えて現れてくる。

自分に向かうか、他人に向かうかは、人それぞれなのだろうが、
おかしな社会の構造と同じく、
弱いものが、強いものの歪のはけ口のターゲットになっている現状。



でも、群れることで強くなった気がする「力」より、
その男性のように、孤独と向き合って、自分自身の中から湧いてきた「力」が、
ほんとうの強さや優しさに育ってゆく気がする。



7月に植えた「朝顔」・・諦めかけていたが、
今年は残暑が続き、
ようやく今頃開いて、窓からの風景を明るくしてくれている。






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