2011年6月9日木曜日

日常

二、三日前までまだ色づいてなかったのに、
この湿気と陽気であっという間に真っ赤になった畑のイチゴ。
留守中に、友人が植えてくれた畑のイチゴは、冬ごとに少しずつ範囲を広げて、
夏の到来を予告し、
私たちの目と舌をよろこばせてくれる。


吹雪で登頂はできなかったものの、8700メートルから、無事下山してきたKさん、
何も生息していない、冷たく、美しく、過酷な氷の世界。
酸素をつけて、命がけで登る。
一呼吸一呼吸は日常のものとは全く違ったことだろう。
変わらぬ彼の笑顔にホッとする。


被災地へ、信州から、医療の仕事や、ボランティアで言って帰ってきた人たちの話を聞いた。

テントで46泊してがれきの撤去などを行ってきた男性。
帰りに寄ったどこかの公園で、
「生まれた初めてだったけど、カエルの鳴いている声が全身に沁みこんでくるように感じた。
後から考えると、多分、「泥」と「がれき」しかない「死」の世界にずっといたからだとおもう。
「生きている」ってことを全身で感じたんじゃないか。」

陸前高田へ行った女性は、
「満潮時間になると道路が水没してしまう。
人間のつくったものが、すべて流されて何にも残ってないんです。
な~んにも。
安曇野に帰って、その風景を見て、なんてきれいなんだろうと思った。
全く別の時間が流れていると思った。
「あたりまえ」と思っていた日常が「あたりまえ」でないとおもった、
感謝するようになった。」

エベレストの氷の世界も、
被災地のことも、
体験した人にしかわからない、
行った人にしかわからない。

でも彼らの話を通して、
あらためて
「日常」や「あたりまえ」という言葉は存在するけど、
ほんとうはそうではない、

この世界の
そして
私たちのいのちの
あやうさとはかなさ、

・・にもかかわらず、

あたりまえのように「生きている」こと、

「生かされている」こと
そのすごさと尊さを感じた。








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