2011年3月13日日曜日

まだ見当もつかない・・

東北で地震が発生して一日半・・
昨日の未明からは、長野県北部が震源の地震・・・

原子炉の一部が爆発しているというニュースは、とうとう・・という感じさえしている。
覚悟、という言葉は大げさかもしれないけど、小さな一、私自身のなかでも、
どういう生活をこれから選んでいくか、
もっと意識的に、考えて生きていかなければ、と思う。命がある限りは。

昨日は一日、最低限以外の電気を消した。
薪ストーブと併用していた、ファンヒーターやカーペットを消すと、確かにいつもより寒い。
でも服を足せばいい。湯たんぽを増やせばいい。
部屋の電気を消すと、最初は確かに見えにくい。
でも、ランプの光に慣れてくる。心も落ち着いてくる。

テレビはしばらくつけていた。
去年までは生活の中になかったテレビだが、先月、パソコンとともに生活の中に入ってっ来た。
今回、リアルタイムで、目の中にも、心の中にも、飛び込んでくる映像。
現実に体験しているわけではないけど、言葉をこえて、強烈にやって来る。
会見や、インタビューされている人達の表情から伝わってくるもの。
共振したり、何ができるか、どうなっているのか、目が離せなくなっている。

そうやって、電気をつかっている。
被災地では、本当に必要な場所で供給ができなくなってる電気を。

周辺の人達だけでなく、日本だけでなく、地球の生き物の存在を脅かす警告をはらんだ原子炉にも依存しながら。

このブログを書くことも、見ることもそう・・
私の心の「おしゃべり」は、いま、電気を使ってやるほど重要だろうか?

昨日はやめた。

長野が震源地だったことも重なって、昨日は未明から、夜まで遠親、親戚、友人・・国内外一日、電話の応対ととメールの返信。ここは被災地ではないのだけど、遠くの皆が思ってくれていること、とてもうれしい。有難いと思う。現実のものとは思えない東北の映像も、一人でなく、家族や、こうして、電話でも人と分かち合って、なんとか冷静に(は、なれなくても)日常を重ねて行けるのかもしれない。
口数少ない夫も、曾おじいさんのお墓があり、一度だけだが訪ねたことのある、南相馬の現状にかなりショックを受けていた。

テレビやネットのお蔭ではかれるコミュニケーション、IT生活。まさに、現代文明の進歩。
そして、今のところ、文明が発達する一方で、必要となる莫大な電力。

人類のたくさんの知恵が結晶して、築いてきた文明社会。
楽しみたいし、十分味わいたい。
でも時に、それは、自分自身の「感覚」や地球の「命」と引き換えるほど大切か立ち止まる必要もあると思う。
今まで体験したことのない、この高度な文明社会、いいも悪いも、体験しないとわからなかったのだ。

大地震、原発の事故。
こういうつらい経験でしか立ち止まれないのは。悲しいことだけど、
残されたものは、よりよい未来を残せるよう、少しづつでも、今自分にできることを、
無理なく続けていくしかないんだろう。


このブログも、発信することに何の意味があるのか、まだわからない。
こうして、書くことで自分の気持ちはすっきりしていくことはあっても、自己満足に終わるならば、紙に書けばいい。誰かのコメントを期待する心があるなら、手紙に書けばいい。不特定多数の人には無理だけど、それは、手紙じゃないし。

学校で教わって始メることにした、このブログ。
自分の中で、何かわかるまでは、書きたいから書く!
納得いくまでは、続けてみようと思う。発信してみようと思う。

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