2011年5月19日木曜日

80代女子

最近、心さわやかにしてくれるのがご近所の80代女子の方々。

どちらからも草刈りなどの庭の手入れを頼まれているのだが、
顔を見ること自体がとても楽しみ。
それはどちらもとても素敵な「笑顔」だからだと思う。
そしてさりげなく感じる「思いやり」。

どちらもご主人を亡くされて、おひとりで生活されている。
人はいろいろ集っているが、
他人に寄り掛かる姿勢は見せず、
ひとりは凛と、
ひとりはおおらかに、
そしてどちらも、穏やかに、淡々と生活されている。

笑顔の感じは全く違うけど、
どちらの笑顔も、
少女のようにな部分があって、
でも少女のそれとは違う、
いろんな体験や年月を重ねた人だけが見せる様な、
そぎ落とされた、静かな透明感が漂っている。
一緒に笑うと、とても暖かい幸せな気持ちになる。

主人のお母さんも80代女子。
やはりとても笑顔の素敵な方で、
初めて穂高の駅であった時、一目惚れしてしまった。

長野まで九州から2度も会いに来てくれた80代女子は、
茶目っ気たっぷりで、時々洒落た葉書を送ってくれる。
この人のユーモアが大好きだ。


この方々の笑顔をつくっている人生の中には
どんな時代が詰まっていたんだろう。
今はなくなってしまった、
自分を律することが当然だったところから、にじみ出てくる「美」もあると思う。

今もよく思い出す私の「ばあちゃん」は生きていれば90代女子。
豪快でおもしろい、懐の大きな人だった。

自身のオーラを全く消すように「神様の道具」に徹してたマザーテレサは100代かしら。

私を安曇野に根付かせた、
デイサービスで会った90代女子は、
死んだ「ばあちゃん」に似ていて、
この春、90代でこの世に別れを告げた。

90代は80代よりも骨が太く、腹が据わってる感じがする。
それも時代だろうか。
それぞれ死んでなお存在感がある。
それもかなり強く。


80代、90代になってみなければわからないこともいっぱいあるだろう。
つらく悲しい体験もたくさんあったからあんなに透明なんだろうか。

私たちは何十年か先、あんなに可愛く微笑めるだろうか。
微笑めるように、今をしっかり生きよう。

今日も、
ともに今を生きる80代女子の、その笑顔に元気が出た。

2 件のコメント:

  1. 笑顔をもらって、頑張って!

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  2. ゆったりこ2011年5月20日 20:28

    今日も双方から、笑顔と元気頂きました!

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