2011年5月9日月曜日

かんじょう

久しぶりにオペラを鑑賞した。

人の心って本当にいろんな面をもっている、というのは日々自分にも他人にも感じるところだが、
言葉や音は、時空を超えて、個々の心に響いてくる。

純粋さ・・その清らかさ、美しさ、エネルギーの強さに胸打たれるし、一方でそれは自身を見失うほどの狂気や悲劇のもとを秘めている。
男と女、親と子、自と他・・・目線の違いは、「想い」はあっても、すれ違い、感情を、ドラマを生む。
人はそうやって、思いもかけない自身の感情に出会い、おののいたり、逃げたり、向き合ったり、受け入れたりしながら・・・
心を土器の様なものにたとえるなら、粘土のように揉み解したりながら、自分の器をつくり続けていくのだろうか。

10代の頃友人の父が、「人生は一つの物事でも、生きていくほど多面になるってことだよ。」ってしみじみ言っていたのを、その方の彩とともに、亡くなった今もときどき思う。


こちらは、先日美術館で行われた、朗読と現代音楽。
古民家の中に、長さや厚みの違うガラス板をたらし、手製の木琴棒で高低を変えて響かせる。
民家の中は、全くの異空間になる。
作家や表現者の想いが、聴き手の心の中にいろんな情景を映し出す。


私たちの不思議な心の空間も同じだと思う。
日々湧きおこるいろんな感情・・
どう向き合い、消化し、そして昇華し、何を発信するのか・・
他人の空間は立ち入れないし、変えられないけど、自分の空間は自由にどんなにも変えられる。
確かに、宇宙で変えることができるのは自分の心のだけなのかもしれない。

そして一人一人が、たった一つしかないこの地球のこと、自分自身のように感じられたら、きっと大きく変わっていくんだろう。

浜岡原発の停止は、ホッとしたけれど、原発に携わっている人の生活だってある。この複雑な経済の仕組みの上に成り立っていた、これまでの生活の意識はそんなに簡単には変わらないだろう。

本当に「ここからが始まり」・・
ひとりひとりが問われると思う。
何を選んでいくか、
何を大事に生きていくか


昨日の雨上がりの朝、季節だけでなく、何か流れや風が新しく大きく変わっている気がした。
きっとよりより良き方向へ、

私も、自分自身の心の、この不思議な空間が、
悲しみや怒り、苦しい「感情」にどっぷりつかることがあるとしても、
十分浸った後は、少し離して「かんじょう」に変えて、
多面に見れる眼を養いながら、
自分自身の中のより良き方向を模索したい。
嬉しさやよろこびも同じように。

きっと自分だけの感情を、味わいながら、深めながら、心の奥の方にあるしづかなところへ降りていき、この空間から、安らぎや平安を発信し続けたい。

2 件のコメント:

  1. 安らぎ、癒し…
    人間に欠かせないものですね!

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  2. ゆったりこ2011年5月9日 12:48

    ええ、ほんとうに。
    そして、一人ひとりその源には必ずあるものだと思います。

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