2011年4月17日日曜日

「僕たちの見たチェルノブイリ」

松商学園の高校放送部が1996年<最後の夏休み>に原発事故から10年経ったベラルーシを訪問した時の記録の本である。
 
大町山岳博物館の古書コーナーで売っていて思わず購入、一気に読んだ。

何年か前にこの本を読んでいてもどこか「対岸の火事」だったかもしれない。
「マイクロシーベルト」なんて言う単語も日常何度も耳にするようになった現在、当時の高校生のみずみずしい感性と、おそらくみんなで試行錯誤して、それぞれの個性を存分に引き出しあいながら、「伝える」ためにつくられたこの本・・遠い美しい村に起こった出来事が、恐怖も悲しみもよろこびも、彼らの目線を通してとてもリアルに伝わってきた。

「私たち高校生に何ができるか」と、彼らが考え、多くの人にチェルノブイリ原発事故問題を知ってもらうために作った本。
彼らが「見た」もの、彼らが「出会った」もの、そして彼らが、「考えた」ことが詰まっている。

その問いは、15年経って色褪せることなく、逆に彼らの体験が、現状を知らない私たちへの大きな示唆となり、「私たち生き残った日本人が何を選択していくか」という更に強い問いになっている気がする。

その国と村に住む人たちは原発の恩恵を受けていたわけではないのに、原発事故で、風によって運ばれた放射性物質の多くはベラルーシ共和国に落とされた。
そして政府によって高汚染地とされた村の住民はすべて強制移住させられ、今も家や学校がそのまま残っている。高校生たちの見たそれらの村は、「自然がすごくきれいで感激。でも学校も家もあるのにだれも住んでいない。ホントに誰もいないんです。見た目は普通なのに放射性測定器は高い数値を出してドキドキした。」
10年経って、100キロ以上離れた村でさえ、放射能の濃度が通常の20~30倍あり、20分しか滞在を許されない。
こういう状態の、誰も住めなくなった村を「埋葬の村」というのだそうだが、誰も手入れをしていないリンゴ畑に、たくさんのリンゴがなっている。もちろん汚染されていて食べることなどできない。

ベラルーシの首都ミンスクはチェルノブイリから約300キロ離れたところにある。
ちょうど福島第一原発と松本や安曇野との距離である。

10年経って事故の汚染地区の子供に甲状腺がんが多発していることが確認される。
ミンスクの国立がんセンターでボランティアで働く日本人医師をこの高校生らは訪ねる。
100%治る見込みはない、笑う力も失ってしまった子供の患者との対面は胸が詰まる。
(笑顔の子もいる)。
ここで働く医師との出会いは、この本の鍵でもあり、高校生に大きな影響を与えたようだ。

私も彼らの目線を通して伝わる、その医師の姿、言葉、言動にとても感銘を受けた。
彼は今、何をしているのだろう・・とネットで名前を検索してみたら、私は読み方さえ間違っていたが、なんと現・松本市長だった。
そういえば写真で見たことのある顔だなあ・・と思っていた。
最近のニュースで「チェルノブイリを訪れたことのある市長は・・」と言っていたのは訪問でなく、5年半の無償医療滞在の本人だったわけだ。
知らなかった私に驚かれる方も多いかもしれないが、知らなかった。

それで定例会見などでの彼の発言を初めて、ネットで動画で見てみた。
今回の事故についても、興味深い発言をしている。
政治家としての彼のことは全く知らないけど、こういう志を持った人が市の長というのは、とても心強いことではないだろうか。


松本にあり、地道な活動をずっと続けているチェルノブイリ基金は今回の震災でも、いち早く、病院と連携して南相馬の病院に入っている。
1か月が経つ前に、もう3回目の隊が入った。南相馬の現状は刻々と変わっているようだ。
なにか手伝えることはないかと以前メールしたが、忙しいさなかにも、誠実な、すばやい対応。
友人は「現地に行けない代わりに義援金を」とこちらの団体に振り込んだら、確認とお礼のハガキがすぐ届いたとのこと。「今度から、こういう手間はいりませんって一筆添えなきゃいけないね」と彼女は言っていたが、その心配りに感嘆し合った。
全体と細部に対するそういう感覚は、きっと支援先でも生かされているのだろう。


「原子力は未来に残すべき、莫大な力と可能性を秘めたものだと思うけど、残念ながら今回の事故で人間にはまだそれを制御する力はないんだと分かった。」となじみの松本の古本屋さんの店主は繰り返し言っていた。
確かに原子力自体には、いいも悪いもないただのエネルギーなのだろう。
ただしやはり、それを扱う人間に、自分自身も含めて、高い意識が育ってないんだと思う。
「みんなのために、未来のために」という意識でなく「自分だけが、今だけが」という意識で、政治や経済が流れた結果こうなっているのだから。

でももう誰かのせいにしたり、誰かが変えてくれるだろうと依存してる余裕は、もうないのだと思う。
あまりに大きな犠牲が払われ、今なお終息どころかまだ犠牲が、広がっている状態。
でもこれはまだ未来に向けて立ち直れる最後のチャンスかもしれない。
ひとりひとりが、かけがえのない「今、ここ」の自分を、精一杯大事に生きながらも、「今、ここの自分」を超えて、今と未来をつないでいけたらと思う。
古代から高い精神性を養い続けた日本人だからこそ、皆で、世界の先駆けとして乗り越えて行けると思う。
亡くなった人、まだショックや、悲しみ、怒りの真っただ中で辛い思いをしている人たちのためにも、周りは乗り越える力をつけていかなくちゃ。
なんでもいいんだと思う、自分の本当に好きなこと、できること・・・小さなこと、愛すること、大切にすること、人も、ものも。
意識が変わればすべてはよき方向へ変わっていけると信じている。

畑には春が来ている。
高校生の体験した、埋葬村の美しい自然を思いながら、人間だけでなく、植物、動物への物言わぬ命のきらめきを想う。



1 件のコメント:

  1. チェルノブイリ・・・ついこの間の話になりますね。

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