2011年4月8日金曜日

雪解け



休止してたブログ、また再開しようと思う。

震災から1か月近く過ぎているが、まだ全体の状況は見えてこない。
余震も、原発も、人の心も、まだまだ不安定のままだ。
何をしていても、ふと意識は被災地にとんでいる。


山形から、気仙沼に炊き出しに行った友人の言葉。
「一か月経って、支援に疲れた企業がどんどん撤収し始めて、近隣で手助けに行ってる。
避難勧告でててもさ~、東北の人は土地に愛情があるからさ~、なかなか離れられないんだよねえ・・。
でも地元の高校生たちが復興させるって頑張ってるのを見たらさあ~。」
客観的にあの水没した町の映像を思うと、何とも胸が詰まるが、育った場所や思い出のある場所への愛情や執着は、東北の人だけじゃないと思う。


宮城の高台住む、津波の被害はなかった、と言う友人は、10日後に電気、最近ようやく水道が普及して元の生活に戻りつつあるといっている。
やっと通行が解除になり入った、自宅から2キロ下は壊滅状態だったと言っていた。
還暦も過ぎ、いろんな人生体験をしている彼が「全部流された義妹の家の残骸が2キロ位流されたところにあって、何か探そうとするんだけど、独特の空気と匂いでなあ・・・」
次の日は寝込んだと言っていた。



安曇野はここ何日か晴天が続き、青空に残雪のアルプスの稜線が突き立ってウソみたいに美しい。
まだ冬季通行止めの中房線、ゲートを抜け、久しぶりに歩いてみた。


春の匂い。
雪解けの中房川、いつもより音を大きく感じる。
まだ人の気配のない有明山の表参道口は、獣の気配そして雪と一緒に落ちてきた土砂、石。
まだ寝起きのようによろよろ動いてる虫もいた。
春のさえずり。
新芽に触ってみる、枯れ木のような枝から春を待つそれぞれの新芽は柔らかくて命そのもの。

忘れてたなあ・・こういう感覚。
車やパソコンや、文明の利器のスピードはスゴイし、いっぱい恩恵を受けて私にも、今があるんだけど、
春風を受けて、一歩一歩、歩くたびに甦る、この自分のリズム、感覚・・


「母なる大地、父なる空」とnative americanは自然を畏れ敬っていた。
古代の日本人もそう。
登山道の沢に足をつけて(長靴です)、顔を洗った。沢の勢いは激しく、その水は甘くておいしかった。
まだ雪を残すグレイの世界の春山も、これから一気に芽吹きがやって来る。

フランスの神学者の言葉、「人類は初めから終わりまで皆で一枚の布を織っている。生きているときは自分がどこの部分かわからないが」
私は何か信仰の対象を持っているわけではないけど、いつも思い出す、この言葉。
きっと、それは人類だけでなく・・
そう思ったら、目に入る木々たちもぐっと近くに感じた。

自分にとっての、その日の心の中のきらめきを発信できたらと思う。


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